『ワンフレーズ』 17話 「ヨウジ」

「今仕事、どんな感じなの」
 僕は、気にかかっていても答えも出ないカズマのことを話すのをやめて、まるで、話すことがなくなったような聞き方をした。

「全然、ぼちぼちだよ、毎日ほとんど同じ仕事だし」
「そうなんだ」
「三交替だから、最近夜勤が始まって、終わった後きつい時とかあるけど」
「夜勤とかあるんだ、家族いるのに、大変だな」
「アラタも夜勤してんじゃん」
「コンビニの夜勤と一緒にすんなよ、あんなの仕事に入んないって」
「眠くなんねーの?」
「おれら別に、朝勤も夕勤もやんないから全然余裕だよ」
「いいなー」
「リコは、育休中?」
「いや、あいつは仕事辞めたよ、子供生まれたと同時に、寿退社ってやつ」
「え?そうなの?」
「うん」
「今の時代に寿退社って、死語だろ」
「なんかずっと理由つけて辞めようとしてたんだよ、銀行事務とか、やりたくなくなったらしくて」
「銀行事務、やってたんだ」
「え、知らなかったの?」
「初めて聞いた」
「アラタには言ってると思ってたわ」
 そんな仕事をしていたなんて初めて知った。銀行事務なんて、高卒で就ける職種なんだろうか。きっとリコは、僕が大学受験勉強をぼちぼちやっていた頃に、資格勉強なんかをしていたに違いない。僕は急に、教室の端で一人、図書室にも別館にも行かずに、窓枠に区切られた夕日の光を浴びながら、勉強をしていたリコの姿を、ありありと思い出した。

「高校の時、聞きそびれたんだよね、そこから会ってなかったし」
「そっか」
「子供、今何歳だっけ」
「一歳とちょっとかな、めちゃめちゃ可愛いぜ」
 ヨウジはそう言って、リコに抱かれた子供の写真を僕に見せて来た。

「目とか鼻は、リコに似てるのかな、奥二重な感じ」
「そうだろ?女の子だからさ、おれに似ちゃったらどうしようなんて思っててハラハラしてたんだよな、産まれる前」
「確かにお前に似たらかわいそうだ」
「おい」
 ヨウジは僕をうるせえよと言わんばかりの顔で見つめた。僕は、嘘だよ、とも返さなかった。

「結婚したり、子供生まれたりとかして、どんな感じなの?」
「え?何が」
「なんていうか・・・生活っていうか、気持ち的な」


 僕は、リコと赤ちゃんの写真から目が離せなかったヨウジの方を見れなかった。


「そりゃもう、一気に大人って感じよ、なんていうか、守るものができたって感じ?家族のためにちゃんと働かなきゃなあって、いつも考えてるよ、だから、別に夜勤でも全然大丈夫」
「そっか、大人だな」
「大人だよもう、早いけど」
 ジョッキを持ち上げたヨウジの腕に、僕なら仰々しくて付けないような腕時計をつけていることに今更気づいた。

「お前まじで変わったよな、さっきの葬式行ったときに思った」
「そうか?」
「うん、そんなに礼儀正しかったっけって感じ」
「社会人四年目の成果が出たかな」
「出てたよ、バッチリ」
「ほめんなよ、気持ちわりー」
 ビールもう一杯ずつ、そう注文して、ジョッキの残りを飲み干した。
「でも本当に、結婚したり子供産まれたりすると、感覚変わるぜ、使命感ていうか、遊んでる場合じゃないなって思う、し、遊ぶ気もなくなるしな」
「遊ぶ気なくなるんだ」
「なくなるよ、家族の時間が楽しすぎるからな、アラタお前、大学で遊んでんだろ」
「そんな遊んでねえよ」


僕は嘘をついた、いや、嘘ではないと思った。


「彼女いんの?」
「いるよ、一個上に」
「かわいい?」
「うるせえなあ」
「ちゃんと彼女に可愛いって言ってやんないとダメだぞ、おれなんて二年近く経ってもリコのこと死ぬほど可愛いと思ってるからな」
「やめてくれよ」

 我慢していたけれど、ヨウジの口からリコの話が出てくるたび、言葉にできない感情になる。動悸が激しくドクッと唸りながら、でも心臓は静かにしぼんでいくような感覚になる。ヨウジが、リコを可愛いと堂々と思っているなんて、三角形の世界が、ごろんとひっくり返ったような そんな気分だ。

「でもこれが伝わんないんだよなあ」
「どういうこと?」
「やっぱりどうしても、子供できると、子供のことを考える時間が増えるんだよ」
「うん」
「嫌な言い方すると、リコのこと考えてる時間が減るの、あたり前のことだし、分けて考えてるわけでもないんだけど、これがどうしても伝わんないことが多いんだよな」
「ケンカとかすんの?」
「そんな怒鳴ったりとかはしねえよ?でも雰囲気悪くなることは最近多い」
「リコも怒ったりするんだ」
「するよ、なんならアイツの方が怒るよ、多分子育てで疲れてるんだろうなって、なるべく流してる」
「そう、なんだ」

 ヨウジに向かって怒鳴りつけるリコのことを想像してみた。

「その彼女さんと結婚すんの?」
「俺?」
「うん」
「まだそんなこと考えらんねえよ、仕事もしてないのに、やめろよ、その質問」
「考えといたほうがいいぜ、会社に出会いなんてないからな」
「お前の会社は、そりゃそうだろ」
「事務なんてみんなおばさんだし、地元にいる友達でも誘わない限り女子と遊ぶことすらなかったよ、まあ今は結婚したからいいけどさ、焦るよほんとに」
「やっぱり、出会いないんだ」
「ないね、ありえないくらい」
「コワ」
「だから、今の彼女大事にしておけって、どうせ結局、結婚生活のために働くことになるんだから」

 僕が結婚する、ただそれだけのために、僕はミユウのことを大事にする気がさらさらないことに気付いた。僕は結婚なんてするんだろうか。これ、相手がリコだったなら 僕はどう思うんだろう。

「今度はお前の番だからな、結婚も、子供も、俺、ちゃんと報告できなかったけど」
「お前の番って」
「そうだろ」 
「そうだけど」
僕はズズッと、泡の落ち着いたビールをジョッキの端で音を立てた。

「今日家帰る前に、子供見てってくれよ」
「わかったよ、お前の家から歩いて帰る」
「可愛いんだぜ」
「名前、なんていうの」

「リョウ、漢字一文字〝良〟で、リョウ」

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