記事に「#ネタバレ」タグがついています
記事の中で映画、ゲーム、漫画などのネタバレが含まれているかもしれません。気になるかたは注意してお読みください。
見出し画像

昭和14年春の敗戦ー小川哲『地図と拳』を読んでみた※ネタバレあり

前々回につづいて小川哲作品を読みました。今回読んだのは今年の直木賞受賞作『地図と拳』(集英社 2022年)。

日本の敗戦を、満州に関わるさまざま人たちの視点で描いた群像劇。満鉄の都市計画設計者、日本の戦争シミュレーション研究所所長、憲兵、反日軍、満州の中国側支配者、ロシア人神父などの視点がまざりあいます。

『地図と拳』の雑誌の連載は2018年にスタートしているので偶然だと思いますが、ウクライナ戦争中の今、タイムリーな作品になっています。どうして戦争がはじまったのか、どうして1945年8月までやめられなかったのか、考えさせられます。

以下、ネタバレします。





昭和14年春の敗戦

猪瀬直樹は『昭和16年夏の敗戦』で、内閣直属の機関として総力戦研究所に模擬内閣がつくられ、その模擬内閣から本物の内閣に日本は必敗するというシミュレーション報告が、昭和16年夏に提出されていたことをつきとめました。『地図と拳』では満州にも民間人によって模擬内閣がつくられ、こちらは昭和14年春には日本必敗との結論に至っていることになっています。その模擬内閣の議論はフィクションなだけに臨場感たっぷりです。模擬内閣の内部は多数派の戦争推進派と少数派の戦争抑止派に分かれます。後者は石油を米国からの輸入に頼っている限り勝ち目はないが、日露戦争に甚大な被害を出しながら勝利してしまったことによって、後には引けなくなっているという状況を冷静に分析しています。

もしかしたらたった一度、ロシアに勝ってしまったことによって、冷静な分析が顧みられなくなり、楽観主義が蔓延してしまったのかもしれません。分析ではロシアに負けると予測されていたのではないかと思うのですが、ハズレてしまったために。

戦争抑止派の一人が、戦争拡大派の中国側戦力の見立てに対して、重要な指摘をします。

君たちは花と団子を前にして団子の話ばかりをしているが、日本と支那の喧嘩は花の問題だ。花とはつまり、勝ち負けを超越した怒りや、国家を守ろうという矜持のことだ。このような覚悟の前では、団子のやり取りは意味をなさない。我々が怒りに任せて連盟を脱退したときのことをもう忘れたのか?いいかい、私は支那人を恐れているのではなく、人間の魂を恐れているのだよ

379P

そういえば「薔薇がなくちゃ、生きていけない」と歌うバンドがいました。「負けるとわかっていても戦わなければならないときがある」と言った宇宙海賊がいました。確かにそんな気もします。こんな性質を持つ人類はどうすれば戦争を回避できるのでしょうか。

最初の満州の都市設計の目的は「虹色の都市」をつくることでした。満州民族、漢民族、日本人、ロシア人、朝鮮人、モンゴル人が国家や民族、文化の壁を越えて手を取りあって生活する。これで六色。そして死者にとっても自分たちの犠牲は無駄ではなかったと思ってもらえる都市にする。これで七色。このような理想という花が思い描かれていましたが、実現することはありませんでした。

そりゃ既に満州に生活している人たちがいるわけで、いきなり虹色の都市にすると言われても納得する方がおかしい。というか、そもそも誰のものでもなかった土地が、いつのまにか誰かの所有物になってしまったことが問題の根源。もともと誰のものでもなかった土地なので、原理的に「この土地は自分の土地だ」と言ったもん勝ち。だから略奪が終わらない。

そこで所有をなくそうとしたのが共産主義国家でしたが、失敗に終ったのでした。この点については『ゲームの王国』に詳しいです。所有は自由や愛と関係しているので、所有をなくすということは人間という概念がかわるということになりますから、なくせないのですよね。ではどうすればよいのか。

さっぱりわかりません。

アホな作戦に命をかける

負けるとわかっていても戦わねばらないと思ったとしよう。だからといって、アホすぎる命令で死んでしまうのはいかがなものか。

すぐに終わると聞かされていたので、誰も越冬の準備などしていなかった。…薄地の夏服と、風通しのいい天幕があるだけだった。夜の野営は死を意味したので、正午を過ぎるとその日の宿を探した。都合よく協力的な集落が見つかることはほとんどなく、途中の農家や民家を強引に占拠して宿営した。食料配給が乏しいので、彼らの食べ物を奪って腹の足しにする。逆らうようなことがあれば殺害して黙らせる。積もった精力の捌け口として、見つけた女を強姦している者もいた。

406-407P

アホな作成によって悲惨が拡大している。と最初は思ったのですが、もしかしたら、民間人から搾取することを前提に立てられた作戦だったのかもしれないと思うようになりました。確かロシア軍も満州を占拠したとき似たようなことをしていたとどこかで読んだ記憶があったからです。搾取された経験がないと、たとえ勝つとわかっていても、戦争はやめようと言えると思うのですが、もし自分や自分の家族が搾取されたら、やめようと言えるか自信なし。ではどうすればよいのか。

さっぱりわかりません。

忖度至上主義

石油を米国からの輸入に頼っている限り勝ち目はないと考えていた日本人はけっこういたようです。そこで賢い人たちは、石油を人工的につくろうと考えました。ところが。

製油工場の工場長も、戸島製作所の開発部長も、国や軍から予算を引き出すために自分たちの成果を誇張していた。…一瓶の石油を作るのに二台分の石炭が必要だってわかったんだ。

476P

現代でもたまに(頻繁に?)発生する問題です。報告の捏造。数万人、数十万人の命がかかってようが、ある程度圧力をかけると、人間は権力者の願望どおりの報告をしてしまう。ではどうすればよいのか。

さっぱりわかりません。

地図と記憶

こんな悲惨な事態からどうすれば脱出できるのか、考えても考えても何のアイデアも出ないなと絶望しながら残り13ページまで読んだところで、ヒントを書いてくれていました。さすが小川哲。

「建築とは時間です。建築は人間の過去を担保します」…「同じ場所に、同じ形の建築が存在することで、人間は過去と現在が同一の世界にあるのだと実感します。…二十年後に幼い記憶を繋ぎとめる鍵になっているかもしれません。…」

612-613P

『ゲームの王国』では記憶とは愛でした。『地図と拳』では記憶は過去の誤ちから脱出する装置なのだと思います。ダメだった記憶を後世に引き継いで、繰り返さないことを後世に託す。『ゲームの王国』を読んだときには、記憶にはイメージと言語の間の存在、言い換えると文字が必要ではないかということを検討しました。『地図と拳』ではイメージと言語の間の存在は建築または地図です。文字も建築も地図も、物理的存在なので、過去、現在、未来に残ります(破壊、消去されることもある)。しかし時間の経過とともにその中身が変わります。意味が変わり、住民が変わり、所有国が変わります。変わらないものと変わるもののセットが後世の希望になるのかもしれません。そういえば人間も物理的存在(身体)と中身(精神)のセットでできていると思われます。このような人間自体が希望なのかもしれません。

おわりに

『ゲームの王国』も『地図と拳』もおもしろいというだけでなく、金言だらけで「読まんといかん」と思わせるパワーにあふれておりました。ということで当面小川作品は全部読むことにしました。なので未読の『ユートロニカのこちら側』と『嘘と正典』をポチり。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?