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アメリカはロシアだー座談会「ロシア思想を再導入する」を読んでみた

ウクライナ戦争の開戦の動機を探っていたら、だんだんロシア現代思想に興味が湧いてきました。

今回は座談会「ロシア思想を再導入するーバフチン、大衆、ソボールノスチ」(雑誌『ゲンロン6』2017年に収録)を読んでみました。

参加者は貝澤哉、乗松享平(ロシア文学、思想研究者)、畠山宗明(映画理論研究者)、東浩紀(思想家、ゲンロン編集長)の4人。

問題設定

まずロシアと日本のざっくりとした共通点が確認されます。
両国とも近代に遅れて参入し、近代の超克をめざしました。ロシアでも日本の「近代の超克」と酷似した思想がドゥーギンのユーラシア主義などに現れているらしい。ちなみにドゥーギンは「プーチンの脳」ともいわれる極右思想家。そして両国ともアメリカに敗戦しています。

これを踏まえ問題が設定されます。
アメリカとロシアは冷戦期、双子関係にありましたが、関係が崩れました。そのとき、どのような思想が生まれ、それは日本の思想とどのような並行関係があるのか。
これが座談会のテーマです。

ロシア文学の世界的流行

19世紀のロシアでは文学が大衆化して大流行していました。そこでは神や魂が扱われており、擬似宗教化していました。それが1880年代以降、フランス、ドイツなどのヨーロッパ、日本など世界的に流行します。牽引したのはドストエフスキーやトルストイですね。

なぜ西欧で流行したのか。
神や魂を語ることができなくなっていた西欧人が、文学によって取り戻す可能性をみたからでした。西欧人は、ロシアの大衆文学は神を取り扱っているとみなした。近代化の最先端であるフランスでは、普仏戦争敗北後に聖俗分離が浸透。学校教育においては宗教を排除するかわりにフランス文学を導入しました。宗教の役割を文学が担うようになったのですが、フランス文学はプチブルの生活を描くものになっていった。ところがロシア文学では神や宗教を描いていた。だから西欧でもロシア文学が大流行します。

おもしろいですね。宗教的熱狂では戦争に勝てないから、学校教育から外した。でもやっぱり人には神や宗教への欲望があるから、文学で補うことにした。そうしたら、フランス文学よりも神のほうに振れていたロシア文学が浸透してしまった。

ロシアも日本も西欧的にディシプリン化された哲学は存在せず、もう少し緩い「思想」と呼ばれるものがあり、それを担ったのが言論、文学でした。ドイツでもフランスでも文学が社会思想や国民性と切り離せないと考えられていますが、これを真に受けたのがロシア。その文学がヨーロッパに逆輸入されて、「ロシア的なもの」が入ってきたと認識される。でもオリジナルの発想はヨーロッパで生まれたのでした。

かつて『君は僕だ』(歌:前田敦子、歌詞:秋元康)という歌がありましたが、ロシアと西欧はまさにこんな関係だったのですね。君(ロシア)だと思っていたもののオリジナルは僕(西欧)だった。まぁ、よくあることです。

ロシアと西欧の言葉と物

いっぽう宗教や法はどうなったのでしょう。
宗教、法などは、象徴的なものの壁を突破し聖なるものに触れたいといったどうしても避けられない危険な欲望をコントロールするためにあるらしい。しかしロシアでは宗教も法も機能不全を起こしているのではないか、と議論は進みます。

フョードロフは疑似科学による死者の復活を構想した。これが意味しているのは、フロイトの父殺しによる法(象徴的なもの)の生成とは逆に、父を物理的に復活させて、象徴的なものがなかった段階まで物理的に戻ろうとします。

ヨーロッパではイデアとマテリアルは峻別されますが、ロシア正教の神学的伝統のなかでは、イデアはつねにマテリアルとして物質化され、精神と身体が分離していません。

25P

座談会ではこのような指摘がなされますが、確かフーコーによると中世ヨーロッパでも言葉と物は混然としていたのではなかったでしょうか。その後、近代ヨーロッパでは言葉と物を分けようとした。いっぽうロシアでは、近代化が進まなかったために言葉と物は分かれなかった。ヨーロッパは言葉と物を分けようとしたけれども、もともとは一体化されていたわけだし、一体化の欲望は消えなかった。だからフョードロフの構想がヨーロッパやアメリカに受け入れられたのではないでしょうか。
実際カリフォルニアのIT業界に受け入れられたようです。
マ、マジっすか。

シンギュラリティとロシア宇宙主義

そのフョードルフの不死の欲望やロシア宇宙主義は現代のカリフォルニアに引き継がれている。IT業界ではまもなくシンギュアラリティがやってくるといわれていますが、このシンギュラリティ論は、マクルーハン経由でテイヤール・ド・シャルダンの神秘思想の影響を受けているとのこと。そこには「オメガ点」やら「ヌースフィア」(知性圏)といった概念がありますが、この起源はフョードロフ、ロシア宇宙主義にある。カリフォルニアイデオロギーの起源はロシア宇宙主義だというのです。

更にIT産業に支持されたトランプ政権は、ロシアに操られていたといわれていたりする。

ここでも『君は僕だ』現象が。
アメリカはロシアだ。

プーチンの脳、ドゥーギン

プーチンの脳と呼ばれるドゥーギンのユーラシア主義にはキリストという特異点があり、大東亜共栄圏には天皇という特異点がある。またドゥーギンは1970年代〜80年代、オカルトに傾斜していくのですが、同時期、たとえば中沢新一はオカルト雑誌『ムー』の創刊にも関わった武田崇元が提唱した「霊的ボリシェヴィズム」が仲間内の合言葉だったとインタビューで答えているらしい。

さらにドゥーギンはヒッピー世代。ドゥーギンが想定したオカルト空間であるユーラシアは、同じくヒッピー文化に影響を受けたスティーブ・ジョブズにとっての電子空間に重なるらしい。繰り返しますがドゥーギンはプーチンの脳と呼ばれています。

メガゾーン23

座談会読んで思い出しましたよ。
OVA『メガゾーン23』(1985年)と『メガゾーン23 PART II』(1986年)。

あらすじは、こんなです。
地球環境は戦争によって破壊された。人類は二手に分かれ、それぞれ巨大宇宙船に乗り込み宇宙を彷徨う。このふたつの人類両方とも500年後に地球に戻るよう設定されています。この設定はコンピュータにより一元管理されています。500年が過ぎ、まもなく地球に戻る頃になって、いっぽうの集団がもういっぽうに攻撃を仕掛けます。自分たちだけ生き残ろうとしたのでしょう。さすが人類。500年くらいでは成長なんかしません。攻撃を仕掛けたほうは、なぜ人類が二手に分かれているのか、理解できていなかったのでしょう。500年前の人類は、同じ過ちを繰り返さない集団だけを地球に受け入れることを考えました。そしてその資格があるかどうかの判断をコンピュータに委ねました。結局、攻撃を仕掛けられたほうの大人は反撃するので、両者共にNGと判断され絶滅しそうになります。しかし、攻撃されたほうの集団の子どものごく一部だけがなんとか地球に帰還できました。その子どもたちだけで再出発しそうなところでエンディングとなります。

今ならわかります。これ、冷戦のメタファーだったのですね。人類は500年たっても戦争をやめることができない。(現実の冷戦はOVAリリース後まもなく終わるのですが、結局ウクライナ戦争で復活する。)
ただ子どもだけが脱出できる。
そしてその世界はコンピュータの制御下にあった。

メガゾーン23の予言、当たっているのではないでしょうか。しかしメガゾーン23スタッフをもってしても、子どもに賭けるしかなかったのは残念。

子どもに賭ける。そういえばデリダの散種や東浩紀の誤配って、子どもを思想に組み込む試みなんじゃなかったっけ。ということで東の『観光客の哲学』を確認してみました。

子として死ぬだけでなく、親としても生きろ。…親であるとは誤配を起こすということだからである。そして偶然の子どもたちに囲まれるということだからである。

東浩紀 『ゲンロン0 観光客の哲学』 2017年 300P

浅はかでしたよ。
子どもに賭けるといっても、その子どもを生んだり、育てたりするのは大人でした。そういえばメガゾーン23には子どもの背中を押す大人がしっかり描かれていました。その大人が子どもにかけた言葉。

おもいどおりに生きろ。生きられる限りな。
新しい世代か。ここは生きがいのある世界だった。しかし、私が正しいと信じて生きてきた時代は終わったようだ。羨ましいよ。お前たちがな。

OVA『メガゾーン23 PART II』

私はこの大人ではなく、子どもの方に感情移入していましたよ。
残念なのはメガゾーン23スタッフではなく、私の方だった…。
子どもにだけ感情移入していたのは、きっと私が精神的に子どもだったからなのでしょう。今見返すと、大人のかっこよさがわかります。もしかしたらちょっとは大人になれたのかもしれません。そうだといいな。

それにしても座談会には興味深い論点が多々ありました。
特にプーチンの脳と呼ばれるドゥーギンの思想、カリフォルニア・イデオロギーに影響を与えたロシア宇宙主義について興味が湧きました。これらについてもう少し調べたいと思います。

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