不惑は近い。が、迷いつづける。。。

いまある大手の会社からちょっと魅力的な仕事の話が来ています。自分のキャリアアップにもつながりそうです。でも、かなり忙しそうです。フルタイムの仕事ですしね。まだ雇用形態や賃金のことが詳しくわかっていないので、何ともモヤモヤしているところです。どんなに魅力的な仕事であっても、ぼくは健康いちばんなのです。心身の不調から逃れ、安らかな心持で生きていきたいといつも考えています。しかし、今の所得はあまりにも低すぎます。同時に将来への不安が募ってきます。なんせ、時給1120円ですからね…。

あす9月17日でぼくは40歳になります。率直にいって、30代の10年間は非常に波乱に満ちていました。2009年に結婚し、直後に元妻の病気が分かり手術、手術が成功した翌年に結婚式を挙げるも、ぼく自身の体調が徐々に悪化して2012年にはサラリーマンを辞め、その後2年間は療養生活。2014年からアルバイトで不定期に働き始め、2015年に元妻と別居、2018年に離婚。ことしは短期の派遣社員を経てまたアルバイトに。そして2020年の今、アンダーコロナのなか、悩んでいます。

どんな人でも悩んで生きている。人は誰も悩みの中にいる。悩みの無い人生は喜びの無い人生と同様に存在しないでしょう。最近仏教に惹かれるのは、やはり今より、すこしでもよい生活を送りたいという煩悩がもたらす(世間にはよくあるけれども、当人にとってはそれなりに深刻な)葛藤を堪えるのがなかなかきついからでしょう。

有ることは無いということだし、無いということは有るということ。あらゆるものは移り変わっていきます。この世に現象しているものは有るのと同時に無いのです。有るように見えるものは、その実無いわけです。これが色即是空ということでしょうね。しかし、俗世の塵にまみれて日々生き延びているぼくとしてはどうしても色(しき)のほうに惑わされてしまう。俗人として生きることを決めているので仕方ないのですが、しかし空(くう)のほうに身を投げ出せたらなとちょっと思ったりもします。しかし、空の思想を胸にかき抱いて生き続けていくというのも、想像を絶したハードな旅路でしょうね。その人が、おのれの信仰に対してつねに誠実であれば、という条件付きですが。

暫定的な結論を述べます。聖俗どちらに生きても、誰もがつねに困難に直面し、人は迷いのなかで呻き、あがき続け、やがて衰えて病み、死んで墓の下に眠る。これは人生の真理でしょう。いや、真理とかいうと暫定的という修辞と矛盾しますが...。なぜぼくは生まれてきてしまったのか、そしてそれはなぜぼくではならなかったのか、生まれてくるにしても人間以外のたとえばスズメのような生き物のほうが良かったのではないか、いやヒノキのような植物でも…。錯雑とした思いが去来しますので、このへんで終わろうと思いますが、欲を出さぬべきか、折を見て欲を出して、それに縛られなぶられて悩み苦しみつつも、おのれの向上をめざすべきか。おそらくぼくの場合、生きているあいだ、この問いからは逃れられそうにないのです。

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