アップリンク裁判をとおしてパワハラについて考える (その1)

映画の上映や配給を行っているアップリンクの社長が元従業員たちから提訴されたことが最近Twitterでずいぶん話題になりました。ぼくにはアップリンクで働いたことのある友人がいて、浅井さんの常軌を逸した言動について聞いたことがあったので、来るものが来たのだなと思ってタイムラインを興味深く見ていました。ぼくもサラリーマンだった時に一時期組織的なパワハラを受け退職し、前職のアルバイトでも新しい上司からパワハラを受けけっきょく転職したのでその経験も参考にしながら、論を進めていこうと思います。

継続的にパワハラができる人は、側から見ていると二枚舌です。でもおそらく本人の中では整合性が取れていて、シームレスに自分の正義ー何を正しいと考えるかという基準ーと行動原理=暴力の行使が、つながっているのでしょう。サラリーマン時代の上司(男性の課長、ぼくは平社員)と、前職の上司(彼女は正社員、ぼくはアルバイト)を観察していても共通点を感じました。立場が上の者から下の者に対して―予め抵抗を封じたかたちで―行われるパワハラは非常に多いですが、その加害者が社会的に有用なスキルや組織内における比較的高い評価を持ち合わせていることも多く、単純にいかれた人物というわけでもないのが問題をさらに複雑化させます。仕事において大変有能であり、同時に激しいパワハラを継続的に行う人物が世の中にはわりといるというのがぼくの実感です。ここをご覧のみなさんにも、もしかしたら一度くらいそんな経験があるかもしれないですね。

彼らは悪いことをしているとは思わないんです。単におのれのなかの"正しさ"に照らして、行動に移しているだけなんです。端的にいえば、その正しさが歪んでいて、踏み込んでいえば認知が狂っているわけなのだけど、それがある程度えらい人だと、部下などもなかなか意見が言いづらく「自分は正しいのだ!」という信念が自然と本人の内面で強化されます。そして、組織のなかの暴君として生きていきます。異論を持った人はやはりパワハラにより排斥されたり、自分から組織を離れますから、周囲はイエスマンで固まり、あとは仕方なくいろいろな理由から妥協して嫌々ながら働いている部下たちが残ります。このメカニズムには資本主義のもつ暴力性と親和的な部分もあると考えます。営利企業における徹底的な業務効率化であったり、飽くなき利益の追求を行うことが正しいとされる企業組織が、暴君を容認する傾向があります。彼/彼女が利益の拡大を導き続けていれば、の条件付きですが。むろん犯罪レベルのパワハラであったり、被害者が自殺して社会問題化したり、異常なふるまいにより企業の経営に支障をきたす可能性が生まれれば、組織は加害者を切り棄てますが、そこまでに至らない場合のほうがずっと多いのです。

アップリンク元従業員の方々は、組織内の悪を社会に晒して正そうとしている。やり方としては実に健全です。会社内の物差しが狂っているわけだからー浅井さんが持っている物差しが、会社のそれなのでー、それよりは公正であろう裁判に訴えるというのは理に適っています。そしてそのことを社会の物差しにも照らすため、記者会見を開くというのも勇気がありますし、一度離れた会社に対して"変革"を要求するその姿勢の根底にはアップリンクという場に対する愛を感じます。会社と浅井さんに対しては怒りと悔しさがあるけれど、映画への愛をいっそう育んだ場所への思い入れもある。すこぶるアンビヴァレントですよね。原告の方々は精神的に相当きつい時間が続くと思いますが、ぜひ勝訴してほしいです。

ぼくは、会社に対する愛着や業務への思い入れがほとんど無いので、パワハラを受けたにしても彼らとは大きく違うなぁと報道を見ていてつくづく感じました。上司に対する複雑な感情も一切無いのです。ただ、この国の企業の9割は中小零細なので、業種や業態が異なってもアップリンク裁判に関心を寄せる人はこれからしだいに増えていくような気がします。小さな企業ほどワンマン暴君社長は多いですし、大きな企業であれば部署・チームごとにパワハラ加害者・被害者はいます。

アップリンクの問題は小さな一社だけの問題ではなく、日本社会全体が抱える問題に通じているので、彼らの行動がパワハラ問題についての議論を継続的に活性化させ、この国の組織をより良い方向に導くきっかけになるかもしれないと、ほのかな期待を抱いています。ぼく自身のパワハラ被害についてはいずれここで書くことがあるかもしれませんが、きょうはこのへんにしておきます。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?