家族間ルール確立の原則の続き ~なぜこの原則が肝になるのか?

家族間ルールの確立の原則の続きです。

肉親感情に代わる生活上の役割分担など、家族関係に応じた独自のルールを確立すべし。

少し長い引用があるため、一つ前の記事を参考下さい。

参考:文化出版局  親子同居•上手な住まい方 P.111

今回からは本題です。
実はこのルール作りについては他の原則内でも触れていて、ようは肝になる原則だと考える。
ちなみに肝になるのはこのルール作りと、「妻の側に100%つく」の2つになる。

なぜ肝なのかというと、問題の本質であり、これを解決できれば目的を果たせるが、人によっては難しいということに他ならない。

•なぜ問題の本質か?

•なぜ人によって難しいのか?

に触れていきたい。

問題の本質と表現したのは、前の記事で記載したように家長制度が崩壊して、ルールや文化が無くなったからだ。
一言でいえば、戦後急速に変化した価値観に同居の暮らし方は追い付いていない。
姑さんの考え方が古いとかいう問題ではなく、急速に変化したアメリカナイズされた日本の価値観に答えを出せていないというのが仕組みとしての問題のため本質と表現した。

それを証明する事象は、探しても同居問題の本が無いことだ。
出版社も触れない領域の為、研究や考察がされていない。同居や敷地内同居の評論家という方はいるんだろうか?
いないのであれば、名乗りをあげたいくらいニッチすぎる領域だ。
ある経済成長の頂点の時代に、同居など過去の産物として排除したのだろう。

実際、同居や敷地内同居が実在しているのを見かけるのは、地方の旧家みたいなのと、港区の二世帯住宅くらいではないだろうか?

港区の二世帯住宅の方に知り合いがいないので実情がわからないが、南青山とかで大豪邸の二世帯住宅を見ると、あれは立地と親の財力がすごすぎて表面上の揉め事にならないのではないだろうか?と思ってしまう。
でもきっと、家庭それぞれに問題があるので我々には計り知れない悩みがあるのだろう。

これは私の考え方特有かもしれないが、土台となる時代背景や文化、世論など個人では抗えない骨格部分が問題の基礎としてあり、その上で個々人の諸問題に応じて多様な問題が起きていると考える癖がある。
ビジネスも同じだ。
市場が変化したのに、市場を見ずに自社の改革だけすることは無いだろう。

なので、まずは日本が古来より形成していた仕組みが無くなった同居という暮らしかたを、個々のフリースタイルで振る舞っていたら衝突は避けられないということだ。
勿論古い日本は嫁いだお嫁さんが大変我慢をしていたと思われ、良い悪い併せて、教育や世論が崩壊を押さえ込んでいた。

昔がよかったので今もそのようにするべきだというのではなく、崩壊したルールを世間はフォローしてくれなくなったということなので、自分達で作らなければならないという当たり前の状況が起きているということになる。

途中、「アメリカナイズされた日本」と表現したのはわかりやすくした比喩で、戦後全く異なる価値観が流通し、マスメディア、インターネットによって広く皆が認知することになったため、価値観の多様化の変化が起きたということが同居にも影響しているということがいいたいのだ。

あの人の言い方が悪い、ああいう考え方だから…。などと個人に問題を転嫁する前に、ルールの無い現状を暮らしていることに目を向けよう。

さて、ルール導入の重要さがわかったところで、次は「なぜ人によってルール作りは難しいのか?」について次回触れていきたい。

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