地図のないソーシャルの世界を、記事と一緒に走っていくこと
コノビー編集部に加入して半年以上が経った。
現在の主な業務は、各種SNS・コノビー公式アカウントの運用と書籍紹介記事の作成だ。
比較すると、編集者として記事を「作る・磨く」時間よりも、SNSを活用し記事を「広める・届ける」時間のほうが長い。
どうやらこういった業務を行う人間を、この業界ではウェブマーケター、またはソーシャルマーケターと呼ぶらしいが、いかんせん情弱歴30年。
半年前にはTwitterのタイムラインなど見たこともなかった。
いまだ全くインターネット事業の全貌がつかめている気はしないので、そのイカつい肩書には二の足を踏んでしまう。
なのでここでは、「最近ウェブ界に入門した人が、どんな想いで働いているのか」を書いてみたい。ウェブ博識の方には、何を言っているのかよくわからないかもしれないが、そこは初心者の戯言だと思って聞き流してもらえると嬉しい。
ここに1本の記事がある。
まだライターと編集者にしか読まれていない。
ピカピカの新記事だ。
そんな記事と向き合うとき、私は2つのことを考える。
「どうやったら、より多くの人に読んでもらえるだろう。」
「どうやったら、この記事が必要な人に届けることができるだろう。」
完全に私論だが、
「多くの人」なおかつ、「必要とする人」に読んでもらうために重要なのは、多くの人が「いる場所」「いる時間」「そのとき何をしているのか」そして「何に関心があるか」を知っていることだ。
例えば、「広告の入ったティッシュをたくさん配布したい」という企業の要望があったとする。
では、「日本で最も利用者数が多い駅は新宿駅なので、通勤ラッシュ時間の新宿駅で配ります。」という戦略は果たして正しいだろうか。
私は不十分だと感じる。
上記の戦略は多くの人が「いる場所」「いる時間」は考えているが、「何をしているか」「何に関心があるか」を無視しているからだ。
平日朝8時の新宿駅には、確かに多くの人がいるが、その大多数は通勤中だ。
始業時間に間に合うように、人の流れに逆らわないように、みな忙しく足を動かす。中には初めていく場所をスマホで検索している人もいるかもしれない。
つまり「ティッシュを受けとる」という行為を行うには、不適切な環境なのだ。
さらには、新宿で勤務する人もいるが、乗り換えに利用する人の方が多い。
もっと言えば、新宿駅は改札や出口がいくつもあるので、「ティッシュを配る場所」には出てこず、地下通路や乗り換え専用通路のみを利用する人も非常に多い。
確かに「多くの人」がいるが、その大多数は「いるけれど、出会うことができない人」なのではないか。
ここまで書くと、「たくさんティッシュを配る」という目標に対して、「平日朝の新宿駅」は本質的な正解ではないかもしれない、という結論になる。
では、休日昼間の新宿駅ならば、時間に追われた状態ではない人(=ティッシュを受け取るかもしれない人)がたくさんいるので、適切な商圏だろうか。
私はここで大事な要素が、「何に関心があるか」ではないかと思っている。
そもそもこのティッシュは広告入りだ。いくら目的が「たくさん配る」であっても、広告の中身と商圏選択は無関係になりえない。
「新発売の炭酸飲料」の広告ならば、新しいものに反応がいい若い世代や、子育て世代に配布したいし、「都心に建設中の高級マンション」の広告ならば、所得の高い層がターゲットだ。
炭酸飲料ティッシュを休日昼間の新宿で配布することは1つの正解だが、億ションティッシュならば、高級住宅街や高年収で有名な企業の近くで配ればよい。
売るモノの数も、買う人の母数も限定的なのだから、当初の「たくさん配る」という目標設定自体が有効な施策ではなかった可能性が出てくる。
長々書いたティッシュの話は、そのまま「コノビーの記事」に当てはまる。
私たちが本当に広めたいものは「記事」ではない。
そこに詰まっている、「メッセージ」と「知識」だ。
ジュースやマンションを広めるための手段として、「ティッシュの広告」というコンテンツが選択されるように、”子育てに笑いと発見を”というミッションの実現のために、「育児マンガ記事」というコンテンツを選択している。
コンテンツの形態が「WEB上に存在する記事」なので、主な商圏も当然WEB上になる。
だから私は、コノビー編集部のソーシャル運用担当者として、「WEB界の新宿駅」も「WEB界の高級住宅街」も知っていたいし、「WEB界の通勤ラッシュ帯」や「WEB界の休日の過ごし方」に理解を深めたい。
しかしながら、ひよっこマーケターの私が知っていることは、残念ながらとても少ない。
だけど少ないなりに、記事の1本1本と向き合うときには、
「どうやったら、より多くの人に読んでもらえるだろう。」
「どうやったら、この記事が必要な人に届けることができるだろう。」
を考えている。
そう思考している私の感覚や記事へのアプローチ方法は、学生時代のある経験に紐づいているので、ちょっと回想させてもらいたい。
大学時代、私は障害者スポーツのトレーナーを志し、熱心にトレーナー活動を行っていた。
スポーツトレーナーという仕事は、簡単に言うと「カラダ屋」だ。
例えば、100走の選手がタイムを縮めたい場合、
走行フォームやブレスの改良をコーチが、
レース展開や年間スケジュールの最適化を監督が行い、
理想のパフォーマンスをするために、必要な土台(カラダ)を我々トレーナーがデザインする。
パワーが足りないなら筋力を増やし、バランスが悪いなら全身を整え、イメージが弱いならメンタルを鍛える。
私はこの「トレーナー」という在り方が、理想の「マーケター」かもしれないと思うことがある。
担当選手の試合当日、トレーナーはみな無口だ。
我々には席がない。監督やコーチのように、本番直前まで選手に声をかけ、激励したり、戦略を練ったりしない。
スタンドの端っこや、控室のモニターの前から、胸の前で手を組み、険しい表情で「その時」を見守る。
苦労して鍛えた背筋は、きちんと全身を支えてくれるだろうか、
あんなに痛がったリハビリは、恐怖心に打ち勝てただろうか、
高負荷に耐えた心肺機能は、終盤で息切れしないだろうか、
目指し続けた、憧れ続けた「理想のパフォーマンス」を悔いなく発揮できただろうか…
"届いてくれよ、頼むから…"
応援や期待よりも、「祈り」に近いあの気持ちは、10年経っても全身に焼き付いている。
トレーナーは脇役だ。
担当選手が、目標通りまたはそれ以上の結果を出したときも、決して名前は表に出ない。
歓喜の中で抱き合う選手と監督・コーチ陣を、やはり遠くから見つめながら、安堵に胸を撫でおろす。
マーケターもそうではないか。
ライターと編集者が、苦しみながら、試行錯誤して生んだ「記事」という存在。
その魅力を、信念を、便利を、感動を、笑いと発見を、目指した人々にきちんと届くように、その表現が正しく伝わるように、
「想いが成就する可能性を引き上げること」が使命だと、私は思っている。
大ヒットだ!と笑いあうライターと編集者を、PC越しに眺めるとき、空に向かって拳を突き上げる選手や、飛び上がる監督の姿を思い出すのだ。
試合当日のトレーナーは、傍目には静かに選手を見つめているだけだ。
でもイメージの中の私はいつだって、
選手と共に灼熱の競技場にまっすぐ立ち、
スタートラインから踏み出すその背中を、あらん限りの力で押し出し、
その勢いのままバランスを崩して、
アスファルトにしこたま体を打ち付けながら、
頸動脈が切れそうなほど大声を張り上げ、
「いけーーーーーーーっっ!!!!!」と顔をゆがめて叫んでいた。
ソーシャルに向けて、記事の「投稿」ボタンを押すときの気持ちは、これにとてもよく似ている。
ここに1本の記事がある。
まだライターと編集者にしか読まれていない。
ピカピカの新記事だ。
初めて記事と対面するとき、私はまず全身のバランスに目を凝らし、次に強みや弱み、表現のクセとここまでの経緯に注目する。
トレーナーとして、初めて担当選手と向き合うときと、まったく同じである。
「ピカピカの新記事」だったものが、
キラキラのヒット記事、
ギラギラの問題提起記事、
ポカポカの癒し記事、
ツヤツヤの発見記事、
そしてすくすくと、定番記事になっていくように、
ソーシャルというフィールドを、戦い抜けるカラダに仕上げる。
そのために一番大事なことは、トレーナーも編集者も共通している。
自分自身を絶えずトレーニング…いや、アップデートしていくことだ。
当然ながら、マーケターが記事に提供できるものは、自身が知っている市場と戦略だけだ。
なるべく多くの選択肢から、最適なプランを選んであげたいと思うなら、進化し続けるWEB広告やSNSの動向を把握し、めまぐるしく変化するトレンドについていかなくてはいけない。
インターネットオンチの私にも、それくらいはわかる。
できるかどうかはわからないが、努力してみたい。
正直に言って、私はまだ「ソーシャルの世界」を貧相なイメージでしかとらえられていない。
Twitterは時間帯によってユーザー層もシェアされる内容も変わるから、深さによって生息生物の異なる「海」だろうか。
LINEは途方もない人々が連絡を交差させる、情報の「森」だろうか。
…いや、単純にアイコンのカラーにイメージが引っ張られているだけかもしれない。
とにかく、この世界の深さも奥行きも可能性も、私はまだ知らない。
きっと完璧な地図など、どこにも存在していないのだろう。
そんな未知の世界に、エンターキー1発で放たれる記事たちは、たいそう心細いに違いない。
姿の見えないその空間は、たくさん人の気配はするのに、誰も自分に興味をもってくれないような、不安な気持ちになるだろう。
ならばせめて、頼りないマーケターだけど、一緒に放たれてやりたいと思う。
トレーナー時代は、背中を押し出すだけだったスタートラインから、その手をとって、一緒に息を切らして走りたい。
くじけそうなときは励まして、疲れたときはおぶってでも、その記事ごとのゴールラインまでたどり着けるよう、お節介なまでに関わりたい。
リーチというコースの上を走るとき、たくさんの人に注目してもらえるよう、美しいフォームや大胆なレース展開を横で支える。
うまくスピードが乗ってくると、今後は記事が私の手を引き、想像もしていなかった、はるか遠くまでリーチを伸ばし、見たことのない場所に運んでくれる。
そこには、何万、何十万という人がひしめく、巨大なスタジアムがあり、拍手と歓声で、私たちを向かい入れる。
口をあけて圧倒される私と、胸を張って誇らしげな記事は、渾身のハイタッチをして、編集者とライターの元へ、そろって報告に行くのだ。
なれるだろうか。
「お節介なトレーナー」のように「記事に並走するソーシャルマーケター」に。
わからないけど、やってみる。
さぁ今日もいこう、可能性があふれてる、広い広い世界の先まで。
記:瀧波和賀
Twitterもやってます^^
https://twitter.com/waka_takinami
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