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敵?味方?

あなたは私の敵?味方?みたいな捉え方をしていることがないでしょうか?私が言ったことに賛成なの反対なのどっち?みたいな。反対すると敵とみなされてやりにくくなるので、賛成でなくても、そうね・・・みたいに合わせることが多くないでしょうか?NOと言えない日本人は平和主義なのでしょうか?

ウクライナ・ロシアの戦争に関して、世界中で、どっちがいい悪いの議論が活発になって、あなたはどちらがわ?みたいな国際情勢になっています。戦争が起きるといつもそのようになって、そこから世界大戦に発展していくことが歴史的に何度も繰り返されています。

私は国際情勢に詳しくないのでなんとも言えないのですけれど、興味深いのは、どちらの人たちも、世界平和と人々の幸福を目指しているということです。そして、その美しい信念を貫くために、反対の立場を敵とみなして攻撃していることです。武器を持って戦わなくても、心の中で悪いやつだ、そのために自分たちはどれだけ傷ついているんだ、とネガティブな思いを抱いているとしたら、攻撃していることと同じです。

傷つきを見るのは悲しいことです。誰が意図的にそのようなことをするのでしょうか?犠牲をなくすためにと、勇気を出して?人ごろしと破壊を繰り返しているのが愚かな人間でしょう。生き残るためには白黒をつけた方が楽で安心です。人類はみな兄弟だと仲良くオープンにしてどれだけ騙され傷ついてきたかを見るときに、もっと賢く防御するべき、最大の防御は攻撃だとなるわけです。そして戦争が繰り返されていく・・・

ここで思い出して欲しいのは、心の中で相手を非難するということは戦争を引き起こしていると同じことだということです。人の想いは伝わります。想いがあるからそれが行動になっていくのです。行動を止めるには行動だけをストップしても、また他のところから歪みが起きて問題が起きてくることは心理学的に明らかです。なぜ非難する心が起きるのか、それは不安だからでしょう。自分が攻撃されたくないから外に敵を作って、皆でいじめることで自分が安全地帯にいて安心する、そんな心理は小学校のクラスでもどこでも見られることです。

そうだとしたら、安心できたらいいという単純な話になります。そのためには、何が悪い、誰が敵かという発想から自由になる必要があります。そのために役立つのが、ウイルバーの統合思想でしょう。つまり、誰もがいいところも悪いところもある、自分も含めて。だから、敵も味方もない、ただ、一生懸命生きているけど間違いを犯す人間がそこにいるだけだということ。間違っていることに気が付いたら、自己嫌悪や謝罪ではなく、あはは、俺アホやったな!って笑ってたらいい!

Tuuliはそんなところです。間違いはどんな聖人君子にだってあるのだから、非難や攻撃は笑いで交わしていきましょう〜

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