『こんな夜更けにバナナかよ』意志がぐらついて、自分を見失いかけた時に

日常生活って、普段意識していないだけで、自分の選択と決断の連続でできている。そしてそれは、障害を抱えていようがいまいが、変わらない。その点において、人生って誰に対しても公平だ。そんなことを強く思うような映画だったと思う。

2019年、本年の映画初めは大泉洋主演『こんな夜更けにバナナかよ 愛しき実話』。

物語としては、筋ジストロフィーを患い、20歳まで生きられないとまで言われていた、鹿野靖明さん(大泉洋)が、病院を飛び出し、ボランティアに囲まれて自立生活を営んでいくというもの。

よくある障害者の感動ポルノ的な映画なんでしょと思ったら大間違い。感動ポルノにありがちな、可哀想で不幸な障害者像を映画の初っ端からぶち壊していく。

この鹿野さんという人、はちゃめちゃでわがままで破天荒でいつもボランティアに迷惑をかけてばかり。でも、愛嬌があって、素直で、アメリカに行くという夢を持って、日々自分に正直に生きている。だからボランティアの人も鹿野さんを憎めないし、むしろどんどん好きになってしまう。

鹿野さんの最大の魅力は、自分に対しても、他人に対してもとことん誠実であることだと思う。自分ができないことはしっかり周りに伝えて助けてもらう。したいと思ったことは臆せずにやり遂げようとする。どんな人とでも、本音でぶつかり合う。

鹿野さんのように誠実に生きることって案外難しい。私は自分が困ってる時に助けてっていうのも、やりたいことを口にするのも、本音で人と話すのも、他人に迷惑をかけたらどうしよう、嫌われたら、笑われたらどうしようって思ってしまって、なかなかできない。

でも、鹿野さんを見ていたら、そんな私の人生って自分にも他人にもものすごく失礼なんじゃないかって思えてくる。自分の意思で、ちゃんと選択して行動していないのって、それって本当に生きてるって言えるのかな。本当の意味で生きるって、日々の生活のいろんな選択を自分の意思で、責任を持って誠実にしていくってことなんじゃないかな。それは、障害者だろうが、健常者だろうが。

鹿野さんが、ボランティアの悩める医大生田中(三浦春馬)にかけた言葉が、
「お前、ちゃんと正直に生きてるか?」だ。

私も日々、問いかけたいと思う。
「お前、ちゃんと正直に生きてるか?」

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