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『風と踊ろう』の始まり

自然の中で踊るの大好きな私の活動にピッタリの名前『風と踊ろう』を思いついたのはいつだったのか、はっきりと思い出せません。

外で踊り始めたのは、もう30年近く前から。

縁側の梅の木の前にぼーっと座っていて、「この木と踊る!」ということを感じて、作品を作り始め、舞台へとつなげていきました。

最初はソロでの活動でした。

色んな方とコラボでも、踊ってきましたし、ジャズダンス、バレエなどのレッスンも受けていたので、そこでの舞台もありました。

でも、どうしても”自分が表現したいことを自由に表現したい!”と思うと、だれかといっしょに踊るというのは難しかったです。というより、苦しかったかな・・・?私はこんな風に踊りたくはない!という気持ちが先になってしまって・・・。


なので、木と踊ったり、火と踊ったり、波と踊ったり、作っていただいたオブジェと踊ったりしていました。

外で光や風を感じながら、踊るのが気持ちよくて、室内の舞台もすることにはしますが、外で踊るすばらしさ、自然の演出の美しさには勝るものはないと今でも思っています。

エネルギーの入り方が違います。

自然と自分が溶け合って、一つになる心地良さは、これ以上の幸せはないと思えるほどです。


娘がお腹に入り、変化が出ました。

お腹の中の子どもと踊りました。

レッスン中、先生から、「跳ばないで!」と何度も注意を受けるほど、跳びたくでたまらなかったのです。

いつも意識をお腹の赤ちゃんに置くと、重心がぶれずに本当に踊りやすかったです。

お腹が大きくなると、ますます安定しました。

そして、娘が生まれ、

「子ども達と踊りたい!」と思うようになりました。

小さな我が子を連れてレッスンを受けたり、教えたり・・・。

プリエをするすぐ横にかごを置いて、その中に娘を入れて踊っていました。

休憩の時に汗をかいたおっぱいをふいて、授乳。

そして、また、踊る。

母に付き添って、娘を見てもらうこともありました。

教えているのに、私の足にしがみつき、離れなくなって困ったこともありましたね。



舞台も大変でした。

みんなをまとめなくてはならないときに限って、娘がくっついて離れなくなる。私を追って泣き出す。

今思えば、それはそうなるよね・・・と納得なのですが、そのときは舞台に集中したくて、キー!!!となっていました。


ぎっくり腰にもなりました。

次女を生んですぐ、長女とジャンプをしていたら、ぐきっ!

やりたいことがいっぱいあるのに、なかなかそれができずに、心と体はアンバランスな状態。

出産で骨盤が開いて、大切にまとめていかなくてはならないときに、無茶をしていました。

次の日は、首も動かせないくらい身動きできなくなってしまい、ボディートークの先生に体ほぐしをしていただき、なんとか動けるようになりました。

思えば、ボディートークとともに踊ってきました。毎日家族で体ほぐしをし、レッスンのときも、病気のときも、精神的につらいときも、どれだけたくさんの時間を費やしてきたでしょう。

このおかげで、家族みんな元気で、健やかに暮らせています。

そして、本物の表現とは何かということを、今でも必死に学べる場です。

ボディートークのおかげで56才の今まで、こうやって踊ってこれています。先生方と出会えて、私の人生最大のラッキーだと思っています。


30年が経ちましたが、情熱は増すばかり!

踊るのが大好きです。

土を感じて、風と感じて踊ることが大好きです。

さすがに老化を感じずにはおれませんが、踊るの大好き!の基本を大切に、30年の学び、経験、を活かしてこれからも活動していきます。

支えてくださっている方、舞台を観に来てくださる方、一緒に踊ってくれる仲間、たくさんの方々へありがとうを伝えるために、これからも踊っていきます。

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