見出し画像

(109) ニセの感情 ー ラケット part2

感情は一種のエネルギーである。
不当に抑え込まれると”質”を変えるか、その人それぞれの体質と結びつき、血圧をあげたり、胃液の分泌を乱したり、気管支痙攣をさせたりすることになる。不当に抑え込まれた「感情エネルギー」は自動積立のように積み立てられ、換金された時、”症状”として表れる。

いつ換金されるのか、当然人によって違いがあるから予測出来ない。長期のエネルギーの積み立てほど、爆発するとエネルギー量が大きい分、命に関わるような事件となることが多く報告されている。感情が不当に抑え込まれると”質”を変えると書いたが、これの方がむしろ複雑で、対処に困り深刻な場合が多い。

楽しいはずの時に憂鬱になり、苦しいやり切れない場面でニコニコするという感情パターンが生じることがある。これは深刻で必ず悲しいストーリーが背後に存在しているはずである。

教師、三十一歳、女性。
喘息・不眠が主な訴えであったが、何か自分が「変だ」・・・自身に「違和感」があるとの申し出であった。このままでは教師を辞めなければとの訴えもあった。彼女が不眠で通院している病院の看護師さんからの紹介だった。強い希望から教師となりながらも、「自身への違和感」と深刻な状況に同情したのだと、その看護師さんから紹介を頂いた。

幼い頃は明るく朗らかな子で、何をするにも積極的ではっきりと自分の気持ちを主張出来る子だったと言う。彼女が小学二年生になった時、母親が突然病気になり床につくようになった。遊びたい年頃だし、友達が多い方であったこともあり、友達といえではしゃいでいた。そんな日が続いたある日、いつものように友達とはしゃいでいると、
「お母さんの具合が良くないのに、どうしてうるさくするんだ!」
と、大声で父親から叱られたと言う。その事を知った母からは、
「大丈夫だよ、お母さんの病気はそれほど悪くないから、友達を連れて遊んだらいいんだよ」
と、助けの言葉があった。

母が病気なのだ。少しでも朗らかに笑って過ごしたいと思うことの方が健康であるのに、父親から叱責を受けた。しかし、二年生である。よく事が理解出来ないまま、彼女は友達とよく遊んだ。土日に父親が家に居ると決まって大声で叱られた。幼いながらも友達が気を遣ってか、彼女の家に来ることを遠慮するようになった。その事をきっかけに、「楽しくするのは悪いことなんだ」と感じ始めたのだと言う。幼いながらの”決断”であった。公園で友達が遊んでいる姿を見ても、仲間に加わってはいけないのだと、幼い心で決めたのだった。

少しずつではあったが、母の病気は良くなり始めた。友達と遊ぶ機会が極端に少なくなった彼女は、淋しくても我慢しながら、ひとりで本を読んで過ごすようになった。父親は、静かに本を読んで過ごす彼女に向かって満足そうな優しい声で、
「いい子だね。静かにしていてお父さんはそういうお前が好きだよ」
と、次から次へと本を買ってくれるのだった。
彼女はそれを笑顔で迎える習慣が出来上がった。これこそが”辛い”ことなのだ。私は何が楽しいのか?わからなくなったと言う。まるで楽しい顔は忘れてしまったとも言う。

半年に及ぶ面接の中で、彼女は毎回涙を流しながら、その”辛さ”を述べてくれた。親の愛情を受けたい一心で、子供は躊躇せず、自分の感情パターンを変更するのだ。本来のごく自然な感情的生活が、いわば人工的に別のパターンに取り換えられてしまう。子どもにとって、親からの愛情のストロークがすべてであり、苦痛な場面で笑顔を見せ、楽しい場面に無関心を装うことで、親の愛情が貰えるのなら喜んでそれをしてしまう悲しいものだ。

チビッ子の”心の痛み””私の痛み”でもある。私自身、二人の孫がいる。そのチビッ子たちの”痛み”のように投影して感じとってしまうからだ。

二年生の幼さで辛い思いをした彼女の”ニセの感情”。楽しいからはしゃいでいることを否定され、キャッキャ出来ないで別の感情を充てなければならない。残酷である。充てられた”ニセの感情””ラケット”と呼ばれる。(70 ニセの感情-ラケット 参照)理由のない、根拠のない、背景もない”お化け”の感情である。しかし、本来の感情は否定された。”ニセの感情”に置き換えなければ親からの優しい愛情のストロークは貰えない。残酷な究極の選択なのだ。誰しも、その道を選ぶであろう。それが悲劇の始まりでもある。

私は訴え続けた。
「父親が静かにしていなさいと大きな声であなたを叱った。遊ぶ場所を変えれば良かっただけなのかも知れませんね?でもあなたはまだ二年生で幼かった。そんな融通が利くはずもないですね。【楽しんではいけない】と強く迫られたと理解したのですね。【楽しいのに、キャッキャと楽しむな】と
受け取ったんです。・・・これを”決断”と言います。何度も何度も叱責のたびに”決断”して禁止令として固定化したんですよ」と。

理屈である。
理屈が理解出来たからと言って、寛解に向かうかどうかはわからない。
でも、私は諦めることはない。「諦めたらそこで試合終了」を何度も味わったからである。

”決断”したのは幼かったし仕方ないことです。誰でもそう考えたはずです。”再決断”しましょう。それで強く”決断”したものを消せば良いんですよ。【私は楽しんで良いんだ】【私は楽しみたい】と・・・」

「その言葉なんですよね」
蚊の鳴くような声だった。
私から大粒の涙が溢れた。未だ本物とは言えない。言えるはずもなかった。
私は訴え続けた。
「人生たのしんでなんぼだよ」
今では、「人生は楽しんでなんぼですもんね」と、彼女は大きな声を出して言う。学校で子どもたちによく言われるらしい。
「先生、この頃よく笑うね!私たちもうれしいよ」
学校は辞められませんね。これだから、これからも仕事が出来る。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?