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(97) 「過去」も「未来」も変えられる

誰にしたところで、無傷のまま今日まで生きて来られた訳ではない。

傷の大小はあるにしても、過去の色々な場面で傷つき辛い思いを散々して来た。健気にも、それでも頑張るなり忘れる努力をするなり、明日に光を求めて生きて来た。何とかなる傷なら良いのだが、どんな努力をしようが癒えないしこりや傷というものがある。

「助けて欲しいんだけど・・・」
以前にも登場した、単純な心療内科の先生からの電話。
「何?また複雑なケースなの?」
「そう、最も苦手なケースだから、先生に助けて欲しいと思って」

三十八歳、女性、ピアニスト・ピアノ教室の先生。そのクライアントにお会いすることになった。
「指が突然動かなくなるんです。硬直して指が吊ったようになって・・・。反り返って醜い指になり、私の眼が飛び出るんじゃないかと思い息もつまります」
そう話され、大粒の涙と同時に夜叉のような形相をされた。
「その表情からは、落胆ではなく大きな怒りを感じますが、今の感情はその怒りでしょうか?」
「やはり、そうなんですね。私にはわからないのですが・・・突然半年前コンサートでそうなり、スタッフが幕を下ろして急病ということにして中止にして頂けました」
「それ以降、その症状はいかがですか?」
「また、いつそうなるか・・・と不安で、二度コンサートの予定をキャンセルしています。決してもうピアノは弾けないと思います。何度かピアノの前に座るのですが、鍵盤に触れることが出来ません。子どもたちの教室は続けています」

その後、毎週二ヶ月かけて「ピアノ」との関わりの経緯をお聞きした。毎回涙を流され、時に夜叉のような形相をされることが続いた。ピアニストであった母親の厳しい指導もあり、並大抵ではなかったその経過について一通り私は理解し、仮説を立てた。ひと言ひと言が重く、私自身の心も傷んだ。私自身に、「咳込む」身体症状に表れたりした。

腹を決めた途端、私の「咳込む」症状は消えた。

「過去の事実は消すことは出来ませんよね。しかし【過去】も【未来】も変えることが出来ます。人はそれぞれが同じ世界に生きているのではありません。自分が”意味づけ”た世界に生きているわけです。”意味づけ”次第で世界は全く違ったものに見えるものです。ですから、その見え方によって【感情】や【行動】も違ってくるはずです」
「そうなんですね・・・。だとすると、私の症状は母への”あてつけ”という意味なんでしょうね。逐一母に症状を報告するのは、母を苦しめたいという気持ちからなんですね?」
「いやぁ、そんなに急がないでください」

私は二ヶ月ほど、毎週同じ「人は自分で”意味づけ”ている」という話を丁寧にくり返しお伝えすることに終始した。日が増すにつれ、「夜叉の形相」をされることが少なくなり、かすかに「笑み」が漏れ始めてきた。声が軽くなり、淀みが無くなった。

初回面接から半年経過した頃、
「私のピアノから受けた【生きづらさ】は幼い頃から厳しい指導を母から受け、何と愛の足りない人だと母のことを恨み、こんなの虐待だと思い続けて来ました。そんな”意味づけ”を変える必要があるということですね?」
「そうですね。その本当に辛かった数々の経験があなたの【何が」を決定して【症状】を出させているのではなく、あなたがそれらの辛かった経験にどのような”意味づけ”を与えたか?によるものだということです。辛いでしょうし、腹にスッと入らないかも知れませんが・・・時間が必要なら、それで構わないですよ」
私が泣いた。

「このところ彼女笑顔でさ、ピアノ弾いてるって言うから・・・。どういうこと?何したの?教えてくれない?」
単純な先生からの電話を終えて、コーヒーでも入れて休むかと、アイスコーヒーを入れた。

私たちは、大きな荷物を背負って、その荷をどう整理したらいいのか、余裕もなく今日を生きることで精一杯だ。時にその荷を開いて、持って行くものと捨てていいものぐらいの区別をしたいものだ。何もかもに愛着があり、断捨離の苦手な私だが、せめてその荷の”意味づけ”だけはしなくてはと、このケースから教えられた。彼女はコンサートを再開され、精力的に活動されている。


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