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(74) 天使のささやき

「耳元でささやくんです・・・お前は生きてる価値のない奴だって・・・」

二年前、毎日こんな「幻聴」が聴こえるんです、という訴えで面接が始まった。目は窪んで、目の下あたりにはクマが出来ていた。仕事は手がつかず、あっという間に体重が減少したと言う。心療内科に通院し、三種類ほどの投薬があった。一日おきに仕事を早退しているとのことであった。

「(58)人生脚本」で登場した単純な心療内科のA先生から紹介のケースであり、難しいケースだと投げてきた。とりあえず一ヶ月病休で休養することとした。「幻聴」となると統合失調症を疑うのが相場であるが、必ずしもそういうものでもない。だからより慎重にならざるを得ない。先生の見立ては、P.T.S.D(心的外傷後ストレス障がい)とのことであった。

本人もこの私にとっても辛い面接の連続であった。何度も彼はその「幻聴」に圧倒され、私の目の前で泣き崩れた。先生の投薬のおかげもあり、辛い辛い面接の積み重ねから一年半でほぼ寛解状態に恵まれた。彼の努力の賜物である。

そんなある面接で、
「先生!天使のささやきを聞いたことありますか?」
と、突然の予期せぬ質問だった。
「天使?悪魔じゃないの?」
「いやいや、天使ですよ、天使」
「ここまで来るとさすがに、悪魔じゃなくて天使のささやきが聴こえるか!ところで、何てささやくの?」
「~良かったね、二人の先生と出会えて。それは偶然ではなく、あなたの力ですよ。このまま行けば大丈夫、あなたを活かしてください~・・・先生、これも幻聴でしょうか?」
「幻聴な訳ないよ。幻聴は決まって悪魔のささやきと言うんだよ。天使に失礼だろ(笑)」

この仕事をしていると、クライアントの「幻聴が聴こえる」という訴えに悩まされ続けなければならない。クライアントの十分の一ほどの方々は、「幻聴」を訴えられる割合である。しかしその中で、本当に心配しなければならない「幻聴」は多くはない。ほとんどが強い「思い込み」であり、声として聴こえている訳ではないのだ。それを、まるで耳元で「ささやき」となり聴こえる気がするに過ぎないのだ。病気に違いないが、重篤な症状としての「幻聴」とは、きっちりと区別しなければならない。

日々の生活の中で、くり返しくり返しつぶやくことが誰でもある。それらは決まって「ネガティブ」なこと以外にないはずだ。そんな「ネガティブ」なつぶやきの基には、「私はダメだ」に代表される「自己否定」的思考が隠れている。それらが時折、本当に聴こえるかのように耳元でささやくことになる。「悪魔のささやき」とでも言うべきだ。また、それらを他者に投影したら、あの人が私をそう思って誰かに話しているに違いない、となる。投影するかしないかの差で、基本は同じものである。時々ならまだしも、毎日これに悩まされるなら圧倒されて当然である。

今、彼は「悪魔のささやき」の意味をよく理解し、あらゆる心配・不安を「ネガティブ」に捉えその悪循環から病んだこと、そして治療の中で様々な気づきを力に、「ポジティブ」な思考・思考の歪みの修正を心掛けたと、振り返る。半ば、今迄の彼では想像できないようなユーモアで、「天使のささやき」を聴くんですよ、と言えるまでに変化・成長した。面接で彼が発する「ポジティブ」な言葉が、私にとっての「天使のささやき」である。今も彼の「天使のささやき」を面接で聴き、相変わらず私もそれに助けられている。



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