(19) プーさんのこと
隣県のT公園にプーさんは住んでいた。
当然公園というのは自治体が管理している公的なものであるから、個人が住居を造る訳にはいかないものである。しかし、プーさんは住んでいた。
昼間はプーさんの段ボールの住居は畳んで管理棟の裏の雨のかからない場所に置かれてあった。早朝から昼間はT公園を中心にプーさんはアルミ缶を収集し現金化して生活に充てていた。市としても管理棟に係の方が常駐していることもあり、プーさんの存在を知らないはずはない。黙認していたのであろう。それはプーさんの人格によるものでもあった。
私はこの仕事を始める前から、医師・看護師さんたちの心理研究会がある度に出席していたこともあり、そんな方々との交流があった。隣県のG大学附属病院看護師長さんと懇意にして頂いていた。そんなご縁から、看護師さんたちの研修会に呼ばれることとなり、講演の機会に恵まれた。テーマは「アイデンティティー」と希望された。苦手である。講演を依頼されることは正直楽しみでもあるのだが、テーマを指定されることは大の苦手である。私も生身の人間であり、日々様々な事が起き、四苦八苦して今日一日やっとの思いで生きている。何を考えて、何を思うか、日々転々としているのである。何月何日に向けて「アイデンティティー」について考えろ、そしてまとめて話せ!などとよく人に注文をつけるなぁ・・・と少々不満であった。私は決めていることが幾つかある。その一つに、”明日で良いことは決して今日やるな”があって、「まぁ、いいか」と当日まで何一つ準備しなかった。講演は無事終了し、まばらな拍手を頂いた。その打ち上げの前、兼ねてからの計画であったT公園のプーさんを師長さんから紹介されることとなった。師長さんは公園まで歩く途中、
「あなたはね、これから会うプーさんと時々同じこと言うのよ。”幸せ”って何なのか?ってことだとか、それを発する時の空気があなたとプーさんは同じなのよ。二人の空気が似てるのよね」
T公園のベンチでプーさんを真ん中に、私たちは挨拶を交わした。訳があるわけではなく、プーさんの様子に泣けた。もともと泣き虫で涙もろいのである。目が腫れた。ボンボンに腫れた。ここは泣いてはいけない場面だったが涙が止まらない。師長に、
「目が腫れて恥ずかしいから打ち上げは遠慮させて欲しい」
と告げ、プーさんには来週またお会いしに来ることを約束して逃げるように電車に乗って帰った。
次の週、T公園で容易にプーさんを見つけることが出来た。
「プーさん、先週はどうも。お言葉に甘えて来ました。よろしく、今大丈夫ですか?」
私は考えた。失礼にならないように何か差し上げるものはないかと、結局コンビニでおにぎり五個と甘いものをラフにコンビニ袋のまま、
「プーさん食べてよ」
「ありがとう」
少しお訊ねした後、一時間プーさんの一人喋りとなった。
「私は七十二歳になります。私たちの仲間では本名を名乗る人はいません。上手にあだ名をつける仲間がいて、私はプーさんと呼ばれています。四国で二十数年前まで会社を経営しておりました。今から思えば自慢出来ることは何一つございません。私は自らを振り返ることもなく傲慢で、会社を通じていかに多くの資産を増やすことが出来るかだけを考えておりました。給料日は社長の私から手渡しで”感謝しろよ”と言葉にこそ出しませんでしたが、そんな気持ちでした。お前の生活は私が与えてるんだ、ぐらいの気持ちで、とても心地良かった。今から思うと恥ずかしい限りです。私の傲慢で怖いものなしの無茶な生き方からか、十億の借入金を容易に銀行から引き出せることが自慢だったのでしょう。そのうち十億を返済出来るどころか、利子に少々足したくらいが精一杯でその結果倒産致しました。これ以上は、銀行と従業員を裏切り、独り身でしたから後始末もせず逃げるように故郷を出ましたからお話しすることはお許し下さい」
「不思議です。私には今、所有するものは何一つありません。しかし、何と言っていいのか適当な言葉は見当たりませんが、”満ちている”んです」
そう語るプーさんの目は潤んでいた。
相変わらず愚考の日々である。四角い器の中で丸くなり、丸い器からはみ出してしまう私である。なかなか真っすぐに立つことが出来ないままである。
「満ちているんです」
プーさんの涙ながらの言葉を、私も涙と共に受け取った。心に深く刺さった。何一つ所有していないプーさんが言う。ここに私たちが求めてやまない”幸せとは?”の答えがあるのだろう。自身が”満ちている”と思うことが”幸せ”なのである。何かが在る、何かを所有している、という問題なのではない。何もなくても、何かを所有してなくても”満ちる”心はあるのである。プーさんはすべてを失して気づいたに違いない。
私はプーさんと最初に会ってからの一週間、講演料として頂いたお金を収入として財布に入れることが出来なかった。プーさんにお会いした際の強い衝撃がそうさせていたのだと思う。中身を確認さえせず、プーさんに差し上げたくて二度目にお会いする時にT公園へ持参した。プーさんのお話を聞き終わり、
「言い辛いお話までしていただき、ありがとうございました。心が何か荷を下ろして楽になると同時に、プーさんから課題を頂きました。精進して参ります」
と、ご挨拶して別れ際、私はプーさんに講演料の入った封筒をお渡しした。帰りの車中、涙が止まらなかった。精一杯のお礼のつもりが、失礼なことをしてしまったのではないかと、自分を恥じた。たかだか私はこの程度である。浅はかである。その日以来、私はプーさんに会いに行けないのである。
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