逃げる(2)

この文章を書いたら、普段読んでくださっているらしい方々(ハートを押してくださる方々)以外の方にも読んでいただいたようでびっくりした。
noteを書いていると、アクセス数も見ることができる。他の記事よりも多くの人に読んでもらっていることが分かる。
この文章の何が良くて読んでくださったのだろうか。
とにかくありがとうございます。
伝わる文章を書けるようになってきているのだろうかと励みになります。一回文字を読めなくなった人間なので、大袈裟ではなく、ありがたいです。

この文章を書いたきっかけは、有名人の方が優しい語り口で、学校に行かなくても良いと仰っていた文章で、その方の子どもさんが不登校になったことをきっかけにお考えになったこともあるようで語ってらした。
身も心もボロボロになってしまう経験を小学校や中学校でする子どもたちもいるので、そんな子どもたちや保護者の方に親身になって寄り添おうとしてらっしゃるように思った。

ただやはり私はこういった語りに違和感も持っている。現実的ではないように思うのと、子ども時代(中学まで)は守ってくれる人がいるとして(いない子どももいるが)、それ以降は誰もいない場合もあるので、具体的に生きる術を提示しない限りは無責任なご発言だと思うからだ。
学校を休むと勉強が分からなくなる。勉強が分からないと人生でつまづくことが多い。たかが勉強、されど勉強。そして、長じてからの勉強にはお金が必要。でも、出すお金がないんだ。
そんな子どもを、そんな子ども時代を過ごした大人を掬い上げるご発言ではないように思う。
どうだろうか。

小さな子どもにはそんな声かけができても、保護者が失職していたり、病気の場合もある。
生活不安のストレスは子どもに及ぶだろうから、そこからも逃げろということと、自活できるように力をつけろということは同時にではなくても、段階的に伝えていかないと、その人が生きていくのは難しい。その時にはやはり導く大人の力が必要だと思う。そういう大人に出会える場が増えれば良いなと私は思っている。いまは、選択肢が無さ過ぎてこぼれ落ちている子どもが何人も何人もいると思う。

そして大人もまた困っている。「大人」になった途端に、休んだら良いということは許されないので、人に会わなくても生きていける力(学力!)がある人はいるけれど、ない方が多いんだ。家庭を持ったら、パートナー共々とにかく働かないと生活も育児も回らない。「奨学金」という先行投資の借金も返さなくてはならない。今後はなおさらそうだと思う(団塊の世代の後の大人は大金を持っていないので)。

「生きていけ!」という声かけ、懸命に生きている人を見てインスパイアされる方が良いと私は現状思っている。
先の文章でふたりの芸能人について書いた。唐突に紹介したのは私なりの理由がある。おふたりとも努力が実った一握りの人ではある。漫才と音楽は一見勉強には関係ないと思われるかもしれないけれど、大いに関係していると思うし、学ぶ姿勢はその人が育ってきた中で身についたもの。要するに学びに貪欲だったのだと思う。
そのような人になれなくても、生き方に希望を持てるし、誰かが生きてくれていることで自分も頑張れるということが人生にはあると思う。

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