ハンドメイドライフ
選択のパラドックス
選択のパラドックスって知ってる?
俺は今さっきこの言葉を知って、意味を調べてみたんだけど
『選択肢が多いと何かを選択した後に、もっと良い選択があったのではないかと後悔の念が浮かんでしまう。』ことを選択のパラドックスっていうらしい。
サルトルの言う「我々は自由の刑に処せられている」みたいだね
自由を求めて戦ってくれた先人たちの努力の結果、選択肢が多くなった現代だからこそ生まれた悩みだね〜
昔は階級が決まってて、就く仕事も恋愛する相手も大体決まっていたから、自由による悩みなんてほぼ無かっただろうね
最近よく流れてくるクソゲーの広告でさ、×2とか÷10とかを選んでいくやつあるじゃん?人生ってああ言う感じだと思うんだよね。
進んでいく流れは一方通行で戻ることはできない
人生には緩急があるから、
自分が選んだ選択肢を後になって吟味することが出来るゆっくりな時もある。
だから後になって、「あっちを選んでおけばよかった」って、分岐点前に戻ってやり直したい気持ちも分かるんだけど、
俺らは、いくつかに分かれている分岐点の岐路に立っているわけではなくて、もうすでにその中の一つを選んだ先にいるからもうどう足掻いても決まったことは変えられないんだよね、まあ当たり前だけど。
変えられないものは変えられない。
数学で「変数」は変えられるけど、「定数」って変えられないでしょ、それと同じ。
定数を変えようとするとそりゃあ苦しいよ、無理なんだもん。
そう割り切るのって結構大切だと思うよ。
割り切ると言うより、「折り合いをつける」の方が正しいかな。
だから大事なのは、ずるずる過去の選択肢を引きずることではなくて、
これから先でどんなことを選択してくか、とか
過去に選んだ道を正解にしていく作業だと思う。
それにね、選んだ選択肢を「間違いだった😭」って言うことあるけど、あながちそうでもないんだよ。
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シシバナザルの話
これは本家(山田玲司さん)のメルマガを引用するね
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取材チームが中国の山奥に暮らす「シシバナザル」の兄弟を追いかけていると驚くべき生態が判明するって話。
シシバナザルに2匹の小猿が生まれるのだが、なぜか片方の子猿しか母親に甘えさせてもらえないのだ。
もう1匹の子猿は群れからも迫害され、群れの近くで「1人ぼっち」で育つ。
そんな「1人で生きていく小猿」は強くなっていく。経験を積みたくましく成長していくのだ。
やがて「母に甘えて育った小猿」も自立の時を迎える。
感動的なのは、この2匹は最終的に協力していく事だ。
「孤独」を知る猿と「愛」を知る猿。
それぞれが、それぞれの「武器」を持ち、互いに欠けた部分を補い合って生きていくのだ。
多様性こそが最強の生存戦略である事を見事に表している。
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恵まれたものも、恵まれなかったものも双方なにかを得ているのであるって話。
俺は受験にも失敗しているし、今までの恋愛もうまくいかなかった(別れちゃってるからね)
でもだからこそ、うまくいかなかった人の気持ちがわかるし
その後どうすれば良いかを模索して、知っている。
失敗した〜!間違えた〜!って思っても、得ているものは確かにあるよ。
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戻りたい過去なんてない
みんなは「あの時に戻れる」ってなったら、戻りたい過去はある?
俺は全くないんだよね。本当に、これっぽっちも戻りたくない。
これは、俺が修正の余地がない完璧な人生を送っているとかそういうわけでは全くなくて、
仮にその分岐点に戻って選択し直すとしたら、
今の道を選んだ結果得られたものを手放すことになるし、
違う道を選んでしまっている時点で自分らしい選択、人生ではなくなってしまっているから、なんだよね。
みんな完璧な人生とかを求めたりするけど、いいんだよダメダメで。
それも自分らしい人生だから
オリジナルな自分だけの自分らしい人生で最高じゃん。
替えの効かない自分だけの毎日。
より良い人生はあるだろうけど、これが僕たちの人生だから
どんどん、自分だけのオリジナルな人生にしていこうね。
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