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実家とはなにか

昨日から、実家に帰省している。

実家天国とはいかず、ゆっくりする時間はない。姪っ子の子守りや母の手伝いが私の役割なので、多少の慌ただしさもある。ただ、それが苦痛ということは全くなく、姪っ子たちも可愛いし、自他ともに認めるマザコンの私としては母の手伝いは買ってでもしたいくらいだ。

しかし、実家で心休まる場所はない。
私には実家に居場所がないのだ。

というのも、「精神的な居場所がない」ということではなく、「物理的な居場所がない」ということである。

今の実家は、私がまだ幼いころ父が立てた家だ。だが、住んでいたのは2年ほどで、また父の転勤が決まったため、この家を離れることとなった。そして、ちょうど同時期に大阪に住んでいた祖父母が立ち退きにあったこともあり、ここへ引っ越しので、この家は私の中では「祖父母の家」のいう認識だった。

年が経ち、祖父母も他界した。また、父も定年退職をしたタイミングでまた戻ってきたので、現在はこの家が「実家」ということになった。

だから、私にとって実家=生まれ育った家ではない。以前はあった私の部屋は今、父の書庫と化しているため、自分の部屋があるわけでもなく、常にリビングにいる。近所に友人がいるわけでも、懐かしむ学校があるわけでもない。

こうなると、実家とはなにか。
結婚もしていない私は、実家=両親の暮らす家だ。

かれこれ15年間一人暮らしをしてきた私にとっては、多少の違和感を感じて過ごすことになる。もちろん嫌だというわけではない。居心地が悪いわけでもない。なんとなく、なにをしたら良いか…というい手持ち無沙汰な戸惑う気持ち。

しかし、しっくりは来ていないが、間違いなくここは私の居場所である。

×××

「精神的な居場所」と「物理的な居場所」が必ずしも同じ場所にあるとは限らないのかもしれない。始めて訪れた土地にも愛着を感じ、居心地の良い場所になることもある。

また「精神的な居場所」というのも、2つの側面があり、場所そのものが心地の良いものもあれば、そこにいる人が居心地を形成することもある。

自分の部屋こそないけれど、心地よく年を越すことができそうだ。

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