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伝えたいことは、伝わらない

花と聞いて何を思い浮かべるだろう。

桜か梅か、幼い頃に見たタンポポか。

自生の花か、植木か花束か。
握りしめたシロツメグサか。

・・・

幼い頃、桃太郎の話をしてもらい、父を困らせたことがある。

家来になった犬は、何犬?
猿はどんな?

と聞いたらしい。

絵本で読んでもらっていれば、誰にも思い浮かぶ柴犬のような白っぽい犬と、お尻が真っ赤な日本猿を思い浮かべるだろう。

しかし、絵本ではなく素話で話をしてもらっていたので、どうしても分からなかった。

なぜ、雉は「鳥」ではないのか。

まぁ猿はどんな種類であっても大体似ているので、「猿」と聞いても大多数の人が思い浮かぶイメージは大きく違わないだろう。

でも犬なんて…。

「桃太郎の話」としてではなく、ただ「犬」を思い浮かべた時、そのイメージはさまざまではないだろうか。

好きな犬を思い浮かべる人もいれば、飼育している犬を思い浮かべる人、最後にすれ違った犬を思い出す人もいる。

それが全て、同じイメージとはとてもじゃないが思えないのだ。

そう振り返ってみると、言葉の曖昧さを思い知らされるだけでなく、「絵本」の強制力や影響力を知る。

物語は、絵本によってその創造を操作されていると言ってもいい。

幼い頃には必要なのだろうけど。

・・・

言葉はひどく曖昧で、万能ではない。

日を追うごとに、私の中でこの認識は強くなってきている。

だからこそ、書き手は文字で全てを伝えられるなんていう考えは捨てた方がいい。

読み手は、文字から得た情報が全てだと思うべきではない。

書き手も読み手も、根底にその認識が必要なのではないだろうか。

今後も有料記事を書くつもりはありません。いただきましたサポートは、創作活動(絵本・書道など)の費用に使用させていただきます。