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"分からないこと"が無くなりませんように

小さい頃はよくテレビを見ていた。

CMだって大好きで、意味もわからず口ずさんでいることも多かったと思う。

テレビだってバラエティだけじゃなく、ドラマもニュースもアニメも映画も、雑多に見ていたけれど、全ての言葉の意味をわかって見ているということは少なかったと思う。

適度にわからない言葉があって、なんだろうって思いながらも聞き過ごして。

小学生の頃だったと思うが「ヒツゼツニツクシガタイ」という言葉を聞いて、なんのこっちゃと思っていた。

意味はわからず、でもあまり聞き馴染みのない音だったから、ちょっと自分でも何度か呟いてみたりして。

中学生に入り、本を読んでいるときに「筆舌に尽くし難い」という文字を見たときに、ポーンッと閃く感覚で、「ヒツゼツニツクシガタイ」とはこのことか!と膝を打った記憶がある。

字を見れば一目瞭然。
あの頃意味もわからず呪文のように呟いていた言葉の文字と意味を、一気に獲得した嬉しさは忘れることがない。

・・・

「意味がわからない」「理解ができない」
これらを悪とする風潮が近年はあるのではないかと思っている。

なんでも分かりやすい方がいい。
もちろん反論はない。私だって分かりやすい方がありがたい。

だって楽だもん。

でも、「分かりにくいこと」の全てが悪かと言われると、それも納得ができない。

人は、ちょっと分からないことや、理解しにくいことで思考を養っているのではないだろうか。

とりあえず、分からなくても我慢して聞いておいて、後でゆっくり味わうことで想像を巡らすのではないだろうか。

私も仕事の時は、なるべく誰にでも分かりやすいように話し、文章を書くことを意識している。仕事の時はそうであるべきだ。

しかし、社会全体が平易な言葉で、誰にでも分かりやすいものだけで構成されたとしたらどうなってしまうだろうか。

面白みもない。奥行きもない。
それでいいのかな、と私は思う。

・・・

結婚してから、テレビはほとんど見なくなった。

毎朝NHKのニュースだけは見ているのだけれど、学生の頃より「分からない」と思うことが格段に少ない。

もちろん私だって成長している。
幼い頃と比べて、語彙だって増えている。

しかし、テレビ側も「分かりやすさ」を意識してのことだと思う。

それはそうだ。テレビは人を選んではいけないと思うからだろう。ことニュースなんていうのは、誰にでも伝わるようでなければ意味はない。

だが、今週はテレビをつける機会が多くあり、民放の番組もいくつか見たりしたけれど、あまりにも平易で安直な言葉選びをしているな、と感じた。

誰もが小中学生にもわかる言葉で。

手を伸ばすことなく、簡単に受け取れる言葉たちだらけ。

もちろん、テレビだけじゃないけれど。

・・・

新聞というのは「中学生レベル」の言葉で書くようになっているという話を聞いたことがある。義務教育を受けていれば、誰でも読むことができるようにということらしい。

その新聞と比べてみたら、テレビで使用される言葉、そして日常生活の中で使われる言葉たちがいかに平易かを思い知らされ、質を見直さなければ…と思う。


「簡単に理解できること」だけが正義じゃない。

分からないこと。難しいこと。
それらがどうか無くならないことを願って。

どうか、
私が手を伸ばし続けられますように。

今後も有料記事を書くつもりはありません。いただきましたサポートは、創作活動(絵本・書道など)の費用に使用させていただきます。