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言葉は要る

「言葉にできない気持ちは
    きっと言葉のいらない気持ち」

そんなポエムが書かれた色紙を、道端で売っているのを見かけた。一瞬の聞こえはいいように思う。「言葉にできない気持ち」を抱えて悩んでいる人は、この言葉に救われるかもしれない。

しかし…
共感する部分はあるが、賛成はできない。

×××

言葉というのは、不完全だ。
すべての気持ちを十全に伝えられるわけではない。そもそも、自分の気持ちを全て他人に伝える必要性もない。 ただ、自分自身の気持ちを何かしらの方法で整理する必要はある。だからこそ、言葉は必要ではないだろうか。

言葉はコミュニケーションのためだけの道具ではない。思考をするにも言葉はなくてはならないものである。

「言葉は心を育てる」ということが育児書や教育本などでよく出るキーワードになってきたが、これは間接的なものだと思う。

言葉はまず思考力を育てる。
外から入ってきた言葉は、まず考えたり悩んだりするときに頭の中で飛び交う内言語となって思考の手助けをする。故に、自分自身の感情をコントロールする力がつくため心を育てることができるのではないかと。

身近のいわゆる「キレやすい人」の多くは、なんとなく語彙数が少ないように思う。綺麗な夜景を見ても、仕事が忙しくても、美味しいご飯を食べても「やばい」だけで会話が終始してしまう人といると、余計な心配かもしれないが「大丈夫かしら」という不安を感じざるを得ない。

もちろんを使用することに問題があるわけではない。ただ、それだけで会話をすることが増えたり、乱用することは避けたい。

ただ難しい言葉を並べれば良いということでもない。平易な言葉でもいいから、「どんな表現できるだろうか」と推敲していくことも、意識して行うべきかと。

×××

何かの映画で「言葉は心を超えられない」という台詞があった。もちろん、そういった気持ちもあるだろう。だからといって、切り捨てないでほしい。

できないから、いらない。そうやって諦めること簡単だ。しかし、それは思考を止めることであり、心を捨てることと同意だ。

言葉は要る。

今後も有料記事を書くつもりはありません。いただきましたサポートは、創作活動(絵本・書道など)の費用に使用させていただきます。