見出し画像

褒められるよりも嬉しいこと

喫茶店での出来事。
本を読みながら、時間を潰していたら「ごめんなさいね、ちょっといいかしら」とマダムに話しかけられた。

歳は60後半から70前半くらい。表情が柔らかく、可愛らしい笑顔の方だった。メロンパンのようなバスケットボタンのあしらわれたコートを身に纏い、フェルトでできた花のコサージュをつけていた。被っている帽子の右側には羽がついている。帽子から除くパーマのかかったヘアスタイルから、彼女がお洒落マダムだと確信した。

大人しく本を読んでいたはずなので、話しかけられるようなことに身に覚えがなく、キョトンとお洒落マダムを見上げると「あなた、それ自分でやってらっしゃるの?素敵なお髪ねぇ。」と。

その日、私は編み込み+お団子で髪をまとめていた。

どちらかというとヘアアレンジは得意なだと思う。学生時代は、友人がデートの時や結婚式に出席するとなると、大学近くにあった私の家に来て、ヘアアレンジを頼んできたくらい。また、長期休暇で実家に帰ると姪っ子たちは、私と同じ髪型にしたいだの、今日はエルサみたいにしてほしいだの、毎朝リクエストにお応えするのが通例となった。

褒められたことが嬉しかった。ぼーっと本を読んでいたので、表情筋は固まっていたのか、満面の笑みのつもりがパッキパキの作り笑顔になっていたに違いない。

しかし、お洒落マダムはとても穏やかな口調で、「少しお話させていただいてもいいかしら」と、私の返事を待たずに自分の席に戻り、マグと鞄とマフラーを持ってきて、私の向かいの椅子に座った。

それから20分ほど話をした。
お洒落マダムは、お孫さん(小学4年生)の塾のお迎えまで時間調整をしているということ、不器用なので髪を結うことをしてこない人生だったということ、必然的にずっと髪は短くしてきたこと、でも旦那様は髪の長い女性がタイプだったということ等々、淀みなくお話してくれた。

お洒落マダムのコーヒーは冷めきっていただろう。

別れ際に「素敵なお髪をみたら、なんだか嬉しくなってしまって。お忙しいところごめんなさいね。でもとっても楽しかったのよ。気持ちよく寝れそうだわ。ありがとう。」と言って、まだ半分も飲んでいないマグを下げて帰っていった。

・・・

「自己肯定感」という言葉がはびこる昨今、「自己肯定感を育てるには褒めること」と言われてきたが、教育業界では新たな自己肯定感を育てる行為が提唱されている。

そもそも、自己肯定感を満たすには5つの段階がある。

1.見ること
2.気づくこと
3.認めること
4.褒めること
5.喜ぶこと(新説)

大事マンブラザーズのメロディが流れてきそうだが、何が一番大事かというと喜ばれることが何より自己肯定感を育てるのだという。

頭では理解していたが、お洒落マダムのおかげでこれを体感することが出来た。「上手なのね」と言われるより、「嬉しい気持ちになった」と言われたほうが、とても満たされた気持ちになったからだ。

ちなみに、実は自己肯定感を育てる上では、更に上級な手段がある。それは、「喜ばれたことを人から聞く」ことだ。

たとえば、子どもが絵を描いたとする。最初に見た母親は、「上手に描けたわね」と褒める。さらに、少し時間を経過させ父親から「とっても上手に絵が描けるようになったって、お母さん喜んでいたよ」と喜んでいるいることを第三者から伝える。これが最も自信につながる。

もちろん子どもだけではなく、大人も同様。職場などで後輩や部下を育てる時にも、これらは有効である。

・・・

この人、なんでこんなに自信があるのかしら…と疑問を抱かざるを得ないような根拠のない自信を持ち合わせている人を、心の中で「自己肯定感おばけ」と呼んでいる。これまで、5つの職場で働いてきたが、どの職場にも必ず1人はいた。

どちらかと言えば、私は私に自信がないので、そういう人から学ぶことも多い。だが、仕事を共に行う上では非常にやりにくいことがある。

適度という曖昧な基準ではあるが、闇雲に褒めまくり、喜びすぎると「自己肯定感おばけ」が生まれるのかもしれないと思った。また「自己肯定感」だけでなく「自己効力感」も同時に育てる必要がある。

「自己肯定感」だけでは、自主性は身につくが低レベルで終始してしまう危険がある。「自己効力感」は他人からの刺激は不要だ。己でチャレンジし、時にはしっかり失敗して、工夫して、成功体験へつなげる。これを繰り返すことで育てるのだが、失敗もなだめすかすと「おばけ」への道を一歩進めることになるのだ。

褒めどころ、喜びどころも大切。


今後も有料記事を書くつもりはありません。いただきましたサポートは、創作活動(絵本・書道など)の費用に使用させていただきます。