見出し画像

ナポリタンのツラをした文学

ナポリタンのいうやつは、非常に罪深いやつだと思う。

「ナポリタン」と聞けば大概の人は共通して同じ匂いを想像し、似たような具材を思い描き、同じ味を口の中に感じながら、否が応でも食べたくなるくらいに食欲をそそってくる。

それだけにとどまらず、時には過去にナポリタンを食べた情景や一緒にいた人まで、鮮明に思い出すこともあれば、次食べるならこんなところで食べたい(私の場合はメガネをかけ、白髭を生やし、無口だが愛想の良い60〜70歳くらいのマスターがいる、木を基調とした昔ながらの喫茶店で昼下がりに)と勝手に想像力を掻き立てられるから、やはり「ナポリタン」は危険な言葉である。

×××

私は大人になればなるほど「お子様ランチ」の魅力に取り憑かれている気がしているのだが、これもナポリタンがなければお子様ランチとは認めたくないくらい確固たる地位を築いていると思う。

ナポリタンのポテンシャルには脱帽させられる。メインディッシュになることもあれば、お弁当の隅にチョコンと添えられることもある。ペペロンチーノやカルボナーラではそうはいかない。どの場面でも期待を裏切らず、良い仕事ができる。

ナポリタンは具材を選ばない。
誰もが玉ねぎ・ピーマン・マッシュルームを思い浮かべ、ベーコン派かウインナー派に分かれるくらいだろう。

ただ、玉ねぎが入っていなくても、マッシュルームもしめじになっても、ナポリタンはナポリタンとして堂々としている。

ただナポリタンにも憂いがある。
どうしても"パスタ"にはなれない。厳密に言えば、パスタというのは総称で、その種類にスパゲティとかペンネとかラザニア・マカロニなどということなのだが、やはりナポリタンをパスタと呼ぶには抵抗が生まれる。
日本で生まれたナポリタンは、パスタの本場イタリアでは圧倒的弱者であり、認めてくれる人が少ない。日本人がカリフォルニアロールを見て、これは寿司だと認めないと言っている感覚にとてもよく似ている。(私はカリフォルニアロールも好きです)

そして強力なライバルに「ミートソース」がいる。幼稚園児が口の周りを彩りながら無心で食べる物ランキングは、必ず両者とも表彰台レベルだ。1位はもちろんカレーだが。

また、意外な刺客は焼きそばだと思う。学校の購買でコッペパンに挟まって売られている麺類はナポリタンか焼きそばだけだ。
私はここまでナポリタンについて愛情を持って語ってきたが、コッペパンに挟むなら焼きそばの圧勝。むしろナポリタン好きでもナポリタンロールは買ったことがない。

ナポリタンは変化にも対応できる。
オムライスならぬ「オムナポリタン」や、「ナポリタングラタン」なるものがあるらしい。ネーミングだけでもう大体の味は想像できるが…やはり食べたくなる。

×××

場所や形・匂い・味を思い描かせ、内容を選ばず、感情を想像させ、変化し続ける。

その名を聞くだけで、小学生時代に土曜の午前授業を終え帰宅した時のお昼ご飯のような安心感が私を縛るナポリタンが、「なんだ、ただの文学ではないか」と思ったというお話。

今後も有料記事を書くつもりはありません。いただきましたサポートは、創作活動(絵本・書道など)の費用に使用させていただきます。