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未来思考スイッチ#15 「シン・水道哲学」を想像してみる

松下幸之助が提唱した「水道哲学」。

松下電器(現・パナソニック)を創業した松下幸之助は、物事の本質や原理を追求し、わかりやすく人々に伝えようとして、経営理念をはじめとする多くの言葉を残しました。「水道哲学」もそのうちのひとつです。1932年、企業は「社会の公器」であると考えた松下幸之助は、社員に対して以下のように語りました。

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「産業人の使命は貧乏の克服である。その為には、物資の生産に次ぐ生産をもって、富を増大しなければならない。水道の水は価値あるものであるが、人が公園の水道水を飲んでも誰にもとがめられない。それは量が多く、価格があまりにも安いからである。産業人の使命も、水道の水のごとく、物資を無尽蔵にたらしめ、無料に等しい価格で提供する事にある。それによって、人生に幸福をもたらし、この世に極楽楽土を建設する事ができるのである。松下電器の真の使命もまたその点にある。(※文章の一部を修正)」

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この「水道哲学」が提唱された頃の日本は、生活必需品は不足し、社会インフラの整備も十分ではありませんでした。このような背景から、物資を潤沢に供給することで物価を安定させ、生活者の手に容易に行き渡るようにして貧困をなくしたい、と考えたのだと思います。

高度成長期を経て、現代は様々な製品が市場に溢れるようになります。そのため、今では「水道哲学」を古い思想と捉えてしまう人もいるかもしれません。特に、大量生産・大量消費の負の側面から、地球温暖化、気候変動に関わる問題は極めて重くなっています。

「自然の理法」という視点。

松下幸之助の考えの中で「自然の理法」というものがあります。「自然の理法」とは、万物を万物たらしめている力、法則のことで、水は高いところから低いところに流れるといった必然のことを意味します。そして、宇宙全体、万物がことごとく常に動いていて、この動きを松下幸之助は「生成発展」と捉えていました。「自然の理法」に則っていれば必ず成功する、人が成功しないのは「自然の理法」に則っていないから、とまで謳っていたほどです。

敗戦後、食べるものがほとんどなく、配給で食料は配られたものの、それだけでは不十分で国民の飢えの状態は続いていました。ところが、松下幸之助が聞いた猟師の話によると、同じ頃に捕った鳥の栄養は十分、まるまる太っていたそうです。「人間が飢えで苦しんでいる時に、鳥は見るからに嬉々として戯れ、楽しみ、栄養も十分にとっている。人間には知恵才覚がありながら、鳥のように満足できていないのは、「自然の理法」に即した営みを正しくしていないからではないだろうか。」このように松下幸之助は考えていたのです。

「水道哲学」×「自然の理法」。

私は、大量生産面が強く受け取られがちな「水道哲学」を、「自然の理法」の視点から読み解いていきたいと常々考えていました。

そもそも、すべての人に対して光はもたらされます。空気も同様です。水も自然の営みから恵まれるものです。動物たちと同じように、私たちには最初から多くの資源が与えられていると考えてみたいのです。この誰に対しても与えられている恵みを、人間社会のルールが不自然な状態へと変えてしまったのではないかと考えるのは私だけでしょうか。

例えば、地球という誰のものでもないはずの土地が売買され、価格が乱高下すること。空気を汚し、水を汚染し、海にはプラスチックごみが散乱するといった現代の問題は、「自然の理法」から外れた経済活動の結果でしょう。言い換えれば、人間自身の営みが人間自身を貧困に追いやっていると言えると思います。当然ながら、社会人及び生活者の一人としての私にも責任があります。

「水道哲学」の大量生産はHow(手段)の話です。What(目的)で訴えていたのは貧困の撲滅でした。この「水道哲学」の現代的解釈に、私は「自然の理法」を掛け算したいと思っています。それが「シン・水道哲学」という視点です。

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「シン・水道哲学」という考え方をベースに、『未来思考』の視点でどのような事例があるかを見ていきましょう。

電気と家電の「水道哲学」。

松下幸之助は若い頃、自転車店に奉公していました。その店の使いの途中で電車を見て、「これからは電気の時代だ」と新時代の到来を予感しました。

暮らしや社会のあらゆる場所に電気がやって来るというひらめきが、家電・設備・産業機器など多くの事業を生み出す出発点となります。これは私の勝手な想像ですが、水道の水がどこでも利用できて人の喉を潤すように、電気のエネルギーがどこでも利用できて人の暮らしを支えていくことを、松下幸之助は直感したのだと思います。明かりを灯し、暖かさを与え、労働を助けていくような、電気が有効活用される先の時代を描いたのでしょう。

その後、家電や設備などの電気を使う製品は普及していきます。ところが、製品の製造や電気の使用によって、私たちのエネルギー消費量は膨大になりました。今では全世界で必要な資源・エネルギーを賄うには、地球2.8個分まで必要だという説もあるほどです。

「自然の理法」の視点から考えれば、これから「省エネ」「蓄エネ」「創エネ」「活エネ」の促進は必須です。地球環境にマイナスをもたらさないためにも、多くのチャレンジをしていかなければなりません。その意味で、電気と家電の「水道哲学」はまだ道半ばなのです。

インターネットとインテリジェンスの「水道哲学」。

Google検索を利用していると、私は「水道哲学」を感じることがあります。その理由は、Google検索は誰に対してもオープンで、タダ同然に利用できる情報サービスだからです。所得の大小にかかわらず、インターネットにつながればすべての人が情報にアクセスでき、検索の結果を返してくれます。とても平等で、格差のないサービスは現代社会の「公共」と言っていいのではないでしょうか。

松下幸之助の「これからは電気の時代だ」にあやかれば、「これからはインテリジェンスの時代だ」と言い換えられるかもしれません。いろんな世界から集まる情報、遥か遠くの宇宙からやってくるデータを、誰もが安価に利用できるようになりました。このインテリジェンスを活用して、暮らしや社会をさらにより良くする事業を考えていくのもいいでしょう。

但し、ビックデータやAIが利権となって、新たな格差を生み出さないようにしていく配慮も必要です。個人情報の保護や安心・安全を脅かす情報統制など、データ資本主義に対する不安な声も高まってきています。人間の尊厳を守り、万物が持続可能となる世界のスマート化を、「自然の理法」に則りながら発展させていきたいものです。

インテリジェンスと移動の「水道哲学」。

クルマの自動運転が普及すると、私たちの移動環境は激変するでしょう。タクシー料金の7割は運転手の人件費だそうです。自動運転になれば、7割の人件費分がなくなり、タクシー料金は現在の3割程度になります。さらに、タクシーの配車を最適にコントロールし、稼働率を3倍に上げることができれば、理論上、タクシー料金は1割にまで下がることになります。

通信料金が安くなって定額制が定着したように、移動費用も安価な定額制になっていくのかもしれません。そう考えると、移動というモビリティサービスは、インターネットのように「いつでも・どこでも・だれにでも」という形式に変わっていくと考えた方が自然な流れではないでしょうか。

例えば、病院を予約すると、自動運転の送迎車が迎えに来てくれるかもしれません。送迎者に乗り込むと、体温や血圧、心拍などを自動で計測し、簡単な問診アンケートに答えることで、医師の診断に役立つ情報を事前に集めることもできます。

また、レストランを予約すれば、送迎車が送り迎えをしてくれるので、飲酒運転の心配はありません。レストランに向かう時にはメニューをじっくり選ぶこともできます。帰りの車内では、食事の満足度に関するフィードバックをもらい、次の予約をお勧めすることも可能です。お客様とのコミュニケーションが格段に深まるので、飲食店の送迎サービスは強力なマーケティングツールになるでしょう。そして、このような人々の自由移動が、地域経済、地域文化の活性化に役立っていくでしょう。

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いろんな「貧しさ」を考えていくこと。

パラリンピック競技で、義足を付けた選手が私よりも速く走り、私よりも高く飛ぶ姿を見ていると、人間の底知れない可能性や義足などの支援具をつくっている人たちの情熱や技術に感動します。人間拡張技術が適切に使われるなら、身体的なハンディは克服され、すべての人が同じ目線で交流できると感じました。身体的なハンディを克服すること、これも「水道哲学」だと思います。

現在、社会や未来に対する不安は高まる一方です。不安の原因は何でしょうか。将来の生活に対する不安なら「年金」や「支え合う家族」のこと。加齢による身体的・認知的な不安なら「医療」「介護」「福祉」のこと。寿命が延びるとともに、余生をどう過ごすかという「生きがい」に関すること。きっと様々でしょう。このような不安を心の貧困と言ってしまうのは誤解を与えそうで適切とは言えませんが、不安をなくしたいという気持ちはすべての人にとって共通していると思います。

一方、動物たちは人間のように将来に対して不安を感じているでしょうか。未来の自分に悩んでいるでしょうか。そんなことはないと思います。「自然の理法」に則って考えれば、心の貧困にも何らかの解決策が見つかっていくはずです。

以上、「シン・水道哲学」の意味とこれからを、「自然の理法」から考えてみました。

「自然の理法」には探求すべきことがたくさんあるので、その解明に伴い、思いもしなかったアイディアが出てくることを期待しています。『未来思考』のヒントとして、私はこれからも「水道哲学」を考え続けていきたいと思っています。


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