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健康マージャンの楽しさを伝えつづけて「15年」|いきいき健康マージャンクラブ代表 佐川正高さん|逆境から成功へのストーリーとは

店内には全自動の麻雀卓が10台設置されている

近年「健康麻雀」が熱い

中高年やシニア層を中心に「健康麻雀」が浸透しつつある。

以前の麻雀スタイルといえば、お金を賭けてタバコを機関車のように吸い、酒をたしなみながら徹夜で楽しむイメージが強かった。

対して健康麻雀とは「賭けない、吸わない、飲まない」をルールとして健全なゲームとした麻雀である。

健康麻雀の認知度が上昇した理由は、プロスポーツ化を目的として2018年(平成30年)7月にMリーグ(エムリーグ)競技麻雀のチーム対抗戦のナショナルプロリーグが発足したのが大きいといえそうだ。

Mリーグの運営は一般社団法人Mリーグ機構。初代チェアマンにサイバーエージェント社長の藤田晋、最高顧問にJリーグ初代チェアマンの川淵三郎が就任した[4]。リーグ参加チームの所属選手に対しては最低年俸として400万円が保証されるが、一方で賭博行為への関与を固く禁じており、仮に関与が確認された場合には即解雇などの厳罰に処される。

「Mリーグ」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』(http://ja.wikipedia.org/)。2022年12月20日21時(日本時間)現在での最新版を取得。

東京都東久留米市にある「いきいき健康マージャンクラブ」の会場へ入ると

楽しそうに麻雀をプレイする人たちの笑顔とおしゃべりで熱気に満ちあふれている。代表の佐川正高さんは、笑顔で出迎えてくれた。

健康麻雀を起業して15年。現在、東京都東久留米市の常設店をはじめとして練馬区と世田谷区で移動教室も展開。地元に愛されて現在の会員数は1000人をこえる人気店へ成長した。

代表の佐川さんはどのようにして麻雀に出会い、起業家として取り組んできたのだろうか。ルーツから現在までの軌跡と、未来へのビジョン、最後にはあたたかい応援メッセージもいただいた。あなたもこの記事を最後まで読むことで、前向で晴ればれとした気持ちになれるはずだ。

インタビューの最初で

「さまざまなツールの中で、麻雀を選んでもらえるのは、ほんとうにうれしいし、この仕事をする生きがいと楽しみなんじゃないかな」。

「現代は健康であることがいちばん大事であり、社会的意義も大きいですね。レジャー産業とはどこかへ出かけたいとき、すぐに行ける場所だと思うんです。緊急性はないけれど、人々の生活を豊かにする意味で非常に大事だと感じています」。

そう語る佐川さん、ビジネスの根底は少年時代にあったという。

思いは少年時代から

「健康麻雀をつづけるうちに気づいたことですが、子どものころの思いは実は重要だと感じているんです。医師であった祖父の影響で少年時代、将来は精神科医になりたいと思うようになりました。当時は不思議な子でしたね。メンタル的にも不安定でモヤモヤ悩んだ時期も多かったんです」。

さらに中学生へ進むと、将来がより現実的に見えてしまい自分は何をしたいのか、わからなくなってしまったとも。

「みんな同じように考えるのかもしれないけど、自分は何のために生きているのだろうか。いずれは同じ悩みを持つ人たちへサポートできたらいいなと考えるようになったのです」。

その思いは幾多の経験を重ねることで健康麻雀の楽しさを伝えることへつながっていくのである。

理科大で応用化学を専攻したけれども

高校卒業後も「自分は何をやりたいのかわからなかった」。浪人して考えながら進んでも結論は出なかった。

勉強して楽しかったのが「化学(ばけがく)」だったので、化学者に向いているのではないかと思い、東京理科大学応用化学科へ進学。大学生としてスタートした佐川さんは、授業を受けても「チンプンカンプン」だったという。

「講師の教え方は、わかりづらくて下手だなって。自分ならこう教えるんだけどなって思てしまって。化学からフェードアウトした原因は、もちろん勉強しない自分が悪いのですが、とにかくおもしろくなかったんですよ」。

いっしょに卒業する同窓生の7~8割は、研究職や関連する仕事に就くのを横目で見ながら…。

「自分は何をやりたいのかわからないなら、お金を稼ぎながら考えればいい。日本は高齢化社会へむかうので、人に寄り添う仕事につきたい。葬儀屋への就職を思いつきましたが、新卒社会人1年目のやる仕事ではないと思ったんですね」。

その時、ふと「ひらめき」が降りてくる。

人の悲しみに立ち会うよりも、楽しみに寄り添えばいい。であれば、エンターテインメントの仕事をしよう!せっかくお金を稼ぐなら、経営も学べる会社がいい。そこで、エンターテインメント事業を展開する会社へ就職を決めてしまったのである。

「化け学と離れた業界へ進むことになってしまい、浪人時代も含め大学の学費まで負担してくれた両親には、今でも申し訳なく思っています。感謝しかないですよ」。とも語ってくれた佐川さん。ゆくてに「何が」待ちかまえていたのだろうか。

「化け学」からエンターテインメントの世界へ飛び込んだときの衝撃


就職した会社は、規模が小さく「ありとあらゆる仕事」をやらされたそうだ。これまで「化け学」の経験しかないため、細かいサービスの内容などまったくわからない場所からのスタートであった。

一緒に働く同僚は、高卒出身者ばかり。しかも仕事はめちゃくちゃ出来る。「もはや学歴は関係ない。すべて捨てないと先はないな」と悟る。畑ちがいではあるけれど、自分の無力さを感じたという。

「いったん、すべてを捨てるしかない」。

上司から「お前は大学まで出て、エリートなのに」と言われたとき、必死にやらないとだめだなと。

一念発起した佐川さんは、飛躍的な成長を遂げる。大型店の店長経験や、社内イベントのディレクション、マーケティング技術を駆使した店舗運営が実を結び結果へつながった。

「実は現在の店舗経営も、最初の会社で経験したことが土台になっています。若い時にはいろいろ苦労しろ、とは古い言葉ですが、あながち間違いでもないと思うんです。けしてどんな経験でもムダにはならないんですよ」。

転機

突然、会社が民事再生法の申請によりスポンサー企業に吸収合併されしてしまう。そのまま会社に残ろうか、とも考えたが合併先の社風や考え方へは賛同できず。1999年に退社。

  退職と同時期、離婚も経験した佐川さん。

すべての気持ちを変えたくなった。何もかも無くなった中でまったく新しい世界を見てみたい。カナダのバンクーバーへ1年間ワーキングホリデーを決意する。

 当時ワーキングホリデーといえば、オーストラリアが定番。アメリカへ希望するも受け入れはなくカナダを選んだ。当時、牧瀬里穂さんも短期留学でカナダに来ていたのは印象的だったとふり返る。バンクーバーは、東海岸のトロントと異なり気候はたいへん良く、日本人学校も多いのが決め手となったそうだ。

麻雀との再会、少年時代からの思いが「つながった」瞬間

バンクーバーで生活するうち、いつしか「合気道」を習いはじめる佐川さん。道場の横で麻雀を楽しむ中国人ファミリーの姿を見て、少年時代に麻雀ゲームに没頭したことを思い出す。

さっそく、日本から麻雀セットを取り寄せて周囲の日本人へ教えたら、たいへん喜んでくれて嬉しかったという。とくに女の子に人気だったのは「衝撃」だったそうだ。

麻雀は健全なゲームとして十分楽しめると再認識。このままにしておくのはもったいない。帰国したら麻雀でのビジネス展開を決めたのであった。

帰国後、さっそくリサーチを開始。調べていくうちに「健康麻雀」の存在を知る。どのように行動すべきか考えるうちに「介護施設」を思い出す。

暇な時間をもて余している人も多いのではないか?高齢者へゲームの楽しさを伝えられたたら、生活も「いきいき」してくるのではないか?と考えたのである。

こうして少年時代からずっと思っていた「だれかの役に立ちたい」は麻雀でつながったのである。

「高齢化社会」とは20代から考え続けたキーワード。

少年時代から「自分は何をしたい」のか自問自答の中で、20代になると「ぼんやり」ではあるが、高齢化社会を考え常に気にしていたという。

「高齢者の増加していく将来に向けて、役に立てる仕事はないだろうか。向き合う仕事に就くのは社会的意義のあるわけで、なんとなく感じていたんです。高齢者の受けやすいエンターテインメントは何があるのだろうかと」。


介護施設への展開と苦悩

スタートは、東京都世田谷区の介護施設へ麻雀教室を展開。施設ではスペース確保の問題もあったので、何も知らずに走り出したため苦労も多かったという。

いちばん大変だったのは、認知症の入居者への対応である。健常者と一緒にプレイするとゲームはスムーズに進まず、対人トラブルへ発展したからだ。プレイヤーは別々にしないといけない。介護施設での展開は、職員の方との協力は不可欠であり、難易度の高いことを学んだそうだ。


もうダメだと感じたとき、おもわぬチャンスが訪れる


「介護施設の麻雀教室では、交流も含め外部の方も参加していたんですよ。その方たちから、続けてほしいって強い要望もあって。もう、泣きたいくらい嬉しかったですね」。

待ってくれる方々の熱意にこたえるため、移動麻雀教室の展開を決める。自らの足で来られる人であれば、それほど手はかからない。公共施設を借り、区民報で募集したところ、応募は100人を超えて殺到した。

このときの反響の多さにびっくりしたのと同時に、「健康麻雀」への手ごたえも感じたそうである。

カルチャースクールの位置づけで世田谷区と練馬区2か所を選択するも、会場の確保に苦労はあったという。

「会場は、駅から近い施設は人気があるので取りにくい反面、少し離れた施設なら借りるのは容易でした。しかし、高齢者の移動はけっこう負担なんですよ。また、麻雀人口は意外に多いのにも驚きました。年配者は仲間同士、ご近所同士の口コミで広がっていったので、人がひとを呼んできてくれた感じですね」。

公共施設での移動式カルチャースクールを定期的に展開していき、2016年に晴れて、東京都東久留米市に常設店舗をオープンする。

ゲームでのコミュニケーションを楽しむために「ルール」は大事にしている


「いきいき健康マージャンクラブ」では、プレイヤーに楽しい対局をしてもらうために、絶対順守3箇条を設けているそうだ。その中でも一番大事にしているのは「怒らない、イライラしない」である。

笑顔は人を幸せにしますが、怒りの感情は楽しい雰囲気を壊してしまう。さらには会場運営にも支障が出る。どうしても 感情のおさまらない時は一度席を立って深呼吸。落ち着いてからプレイを再開してもらうように促しているそうだ。

SNS時代をどう乗り切るか

プレイヤーの大半は「高齢者」である。現在LINEグループへ登録を積極的に誘導して、全体の周知やコミュニケーションはスムーズに進むようになったと話す佐川さん。

「教える側として一番重要に感じているのは、SNSですね。今の時代、知らないのは恐ろしいことですし、麻雀だけでなくSNSも付加価値として繰り返しやって覚えてもらう。教える相手のレベルに合わせていかに楽しく覚えてもらえるか」。

ようやく高齢者へもスマートフォンは浸透してきた。以前は誰もLINEを使わなかったため、イベント中止などの緊急連絡は「一人ひとり」電話と口頭で対応。コミュニケーションの行き違いに困難を極めたそうだ。いまでは麻雀のレクチャーにくわえてLINEの使用方法までも丁寧に教えている。

「上手に教えるのはむずかしい。歳をとると物覚えもわるくなるし、我々教えるスタッフも中高年ですから、実感するところですね。根気よく対応して、すこしずつ。人間は便利なものには勝てないですし、デジタル化の波は避けられないですよね」。

完璧主義を求めてしまう年代にとって、今のような「できるところから楽しんでいく」のは難しいかもしれない。けれども、楽しさを知り上達できれば、教える側もうれしい。やりかたの固執は、今の時代に合わないと思いますね、とも話してくれた。

たまたま、自分のやりたいことがマッチして続けられれば、いちばん幸せだと思う


2020年コロナ禍になったとき、店は平常運転できなくなった。

対面でなくても可能なビジネス展開の必要性を痛感した瞬間だった。ひとつの仕事を熱心にやるのはもちろん大事だが、コロナ禍のように「有事」の場合、店をいつまで存在できるのか不透明になったという。

「今のようなスピードの速い時代、現状に甘んじている場合ではないですし、SNS技術を駆使できればいいのですが、お客さまと歩調を合わせる要素も大事なんですよ。将来的にはYouTube配信、SNS運用を基盤にした店舗運営は必須だと感じています」。

もうひとつの展開として、働くスタッフの安定した雇用と店舗運営を続けるために株式投資事業へも取り組んでいるそうだ。理由として、今回のような突発的な社会情勢の変化が発生した場合、受け皿である収益は複数あるべきと考えたためである。

「今の時代、自分のコンテンツは複数持っていたほうがいいと思う。副業をいわれる風潮もあるけれども、終身雇用はより不意透明になってしまいましたね」。

「たまたま、自分のやりたいことがマッチして続けられれば、いちばん幸せだと思う」。

穏やかに話す佐川さんであるがこれまでの15年を振り返り、続けられた原動力とは何があるのだろうか。

「麻雀は人生の縮図と言われるが、麻雀同様、人生も柔軟に対応していくことで、自分の可能性を広げ、思わぬチャンスを得られることもある。固定観念に捕らわれず、さまざまなことへ前向きにチャレンジしていきたいと思う」。


ーーチャレンジするうえで大事にしていることはなんですか?

「私のメリットとして最悪の事態でも、なんとか切り替え出来ちゃうところが乗り越えらる力だと思うんです。苦境も多くありましたが、この世で生きる限り、この世界は精神修行の場なんだなと感じられるようになったんです。それなりに自分に足りないものを今、補っているんだろなって思うと割り切れてしまうところがあるんですよね。麻雀をつうじて因果応報の意識と重要性を感じられるようになったともいえるんじゃないかな」。

いま、何をしたいのか「わからない」ときには

「自分はエンジニア(研究職)タイプだと思っていたが、気が付けば人前に立つ仕事をしていた。今も表舞台に立つより裏方で仕事をする方が向いていると思っているが、初めて入った会社での経験は自分の可能性を広げてくれた。今の仕事に充実感と幸せを感じている」と話す佐川さん。

ーー悩んでいる方へ伝えたいことはありますか?

「いま目の前にある「出来る経験」は、どんどんすべきだと思います。自分が何に向いているか、何をしたいかわからなくても、目の前に取り組めることがあるのは幸せですし、そういった積み重ねが後々自分の力になっていくはずなので、どんどん出来る仕事には真剣に取り組んで欲しいな、と思っています」。

また、「幼い頃の漠然とした夢などに意外とヒントがある」とも伝えてくれた。

自分は何をしたいのか、歳をかさねてもはっきり言える人はそう多くはないのではないだろうか。「超えられない壁はない」精神で多くのハードルを飛びこえられたのは、目の前の仕事へひたむきに集中すること。その潔さには覚悟と信念さえ感じる。

「誰かの役に立ちたい」は人生のすべてに導かれているように思う瞬間であった。これからも多くの方へ健康麻雀のすばらしさを伝えていってほしい。

佐川正高さんプロフィール

一般社団法人日本健康麻将協会認定会場「いきいき健康マージャンクラブ」代表|東京都出身|1972年生まれ|東京理科大学 理学部 応用化学科卒業|日本健康麻将協会認定レッスンプロ資格取得|中国国際麻将ルール審判員資格取得

いきいき健康マージャンクラブ | 健康マージャンカルチャー教室の運営(東久留米)、サークル活動支援(石神井、世田谷、土支田) (ik2kmjc.com)

取材・撮影・執筆:おがちん(小川一則)



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