気づいたら、カレー20人分のじゃがいもの皮を剥いていた話
社内の勉強会の準備でカレーを作るために、じゃがいもの皮を剥きました。
20人分のカレーをつくる予定で、メインで料理をしてくれる人一人だと大変そうだからお手伝いをすることに。
気づいたら、20人分のじゃがいもの皮を剥いてた
いざ、じゃがいもに対峙したとき、ただなんとなくやるのは楽しくないから「できるだけ工夫しながらやれたらいいなぁ」と思いました。
普段あまり自炊をしないので、ピーラーを持つのもかなり久しぶりで。「上手く剥けるかなぁ」とどきどきしながら最初に一個に取り掛かりまして。
最初の一個は、つるつる滑る濡れたじゃがいもに苦戦をして時間がかかってしまい。
少しでも綺麗に早く向けるように「次の一個はここを工夫しよう」みたいなことを考えながら、小さい小さい工夫を繰り返してました。
・まずは、真ん中の面積の広いところを大きく早く剥いて。
・次に、手を切らないように注意しながら片方の先端の皮を剥いて。
・その後、持ちかえてもう片方を剥く。
そんなことを考えながらやっていると、最初の1個目より、5個目のときにはだいぶスムーズに剥けるようになってきて。
その調子でさらに続けると、10個超えたあたりで1個20秒くらいで剥き終わるようになっていて。
タイムアタックのゲームをしているような感覚でどんどん剥いていたら、気づいたらカレー20人分のじゃがいもの皮剥きを一人でやりきってしまいました。
終わった時の感想は、一言。
「じゃがいもの皮剥き、超楽しい。」
大人にも無心で楽しむ時間が必要
子どもの頃、朝から遊んで気づいたら夕方になっていたことがよくあったように思います。
ただただ楽しい思いしか残らないような時間。生産性とかメリットとか、一切関係ない純粋な時間。
大人になって社会人になって、忙しい日々を送っていると「無心で楽しむ時間」が確保しにくいように感じます。
じゃがいもの皮剥きが楽しすぎて、無心になれたことがきっかけでそんなことにふと気づきました。
そんな時間は大人になってからも必要だし、日々を忙しく過ごしている大人だからこそ必要なんだろうなぁ、と思います。
自分の気持ちに自分で気づいてあげる
じゃがいもの皮を剥いたことから、自分の中で気づきを得られたのは、「書く」を通して自分の気持ちと向き合う習慣があったから。
・今日はこんなことがあった。
・それに対してこう感じた。
・その気持ちを自分はどう捉えるのか。
毎日、空き時間があれば、起こったことや自分の気持ちを書き出すようにしています。
書いていくうちに、日常の中で見落としがちな自分のプラスの気持ちに気づけることがあります。
今回のnoteも「じゃがいもの皮剥き、なんか楽しかったなぁ。」というメモから書き始めています。
・自分の奥の方から今の気持ちを丁寧に汲み上げる。
・日常の小さな心の機微を捉える。
・気づいたことに、自分で気づく。
ゆっくり静かに自分に向き合う。書くことそれ自体がそんな時間になっています。
それはnoteを書き始めたときにやりたかったことなので、少しずつ実現できていて嬉しいかぎり。
いまも気持ちは変わっていないので、書くことを継続をしたい。誰かの、何かの、きっかけの一部になれたらそれで充分。(時折「note読みました!」とDMを頂くことがあり大変励みになってます。)
今後も、少しずつ、少しずつ、文章を書いていきたいと思います。
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TOP画像は、じゃがいもを一心不乱に剥いているひらやま。最近、髪を切って売れない小説家みたいな髪型になりました。
最後まで読んでいただきありがとうございます。