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「乾杯」という名の、小さな約束。

乾杯がきらいだった。

"杯を乾かす"と書かれたその言葉に、いい印象を持っていなかった。体育会系の部活によくある、「たくさん飲める人がつよい、酔わないことが正義。」という屈強で排他的な価値観に嫌気が差していた。どうしてこんな危険なものを楽しそうに飲むのか、理解できなかった。

それが自分の乾杯との出会いだった。



ぼくに乾杯の楽しさを教えてくれた人が、三人いる。


一人目は、大学生のとき、仲良くしていた女性。

何度か飲みに出かけた。少しだけお洒落なお店を予約して、前日の夜からどんなことを話そうか一生懸命考えていた。必死に考えた話はたいてい盛り上がらず、ふと話題にしたことで盛り上がるような、空回りばかりしていた。話が盛り上がる前の一杯目を飲むときは、いつも緊張していた。それでも、楽しかった。

彼女はいつもモスコミュールを頼んでいた。いつも飲む理由を聞いたことがあったけど、あまり憶えていない。ただ、彼女が頼んだモスコミュールをおいしそうに飲むのを眺めているのが、ぼくはすきだった。


二人目は、昔の会社の上司。

大きな仕事を終えたときに必ず行く、いきつけの中華屋があった。いつもは厳しく隙のない上司が、お酒の席では自分の身の上話をするくらいに緩んでいた。

彼はいつも、一杯目はビール、二杯目以降はハイボールだった。とにかく、一杯目のビールをおいしそうに飲んでいた。朝まで営業しているその中華屋で、あーでもないこーでもないと、くだらない話をする時間が、ぼくはすきだった。


三人目は、学生時代の同級生。

特別な理由がなくても定期的に会っている。いまでもそうだ。本当に苦しかったとき、一番はじめに相談したのが彼だった。渋谷のスタバで待ち合わせて、とても長い時間、話を聞いてもらった。肯定も否定もせず、ただ話を聞いてくれていた。

彼は選り好みせず、いろいろなお酒を飲んでいたけど、よくウィスキーを飲んでいた。きどってかっこいいふりをした飲み方も地べたを這い回るようなださい飲み方も、一緒にした。どこで何を飲んでいても、彼とお酒を飲む時間が、ぼくはすきだった。



どんな飲み方をしてもいい。器用でも不器用でも、おいしくてもおいしくなくても、それでもいい。目の前にいるその人と自分とで心地よい時間を一緒につくりあげていければ、どのような形でもいい。

乾杯という名の小さな約束が、幸福な時間の入り口になることを、三人は教えてくれた。



人生で最もおいしかったビールを思い出していた。お店の場所もビールの銘柄をよく憶えていないけど、その日は、飲む前からビールがおいしいことを直感していた。

よく冷えたグラスに波々と注がれた黄金色の液体をみて、思わず小麦畑から旅をしてここにたどりついてくれたことへの感謝を抱いた。口に含んだと思ったら、半分以上なくなっていた。一口目の後、しばらく目を開くことができなかった。

あぁ、生きててよかった。そう思った。



これまで数え切れないくらい、たくさんの乾杯をしてきた。初対面でも喧嘩をした後でも再会の日にも、たくさんの感情を抱えながらお酒を飲み交わした。乾杯をするたびに、ぼくたちは少しだけ、仲良くなれた。

大切な人と飲むお酒が一番おいしいから、
ぼくはこれからも何度も何度も、
小さな約束を繰り返す。


また乾杯しよう。




最後まで読んでいただきありがとうございます。