noteを1年で200本書ける理由
「なんでそんなに書けるんですか?」
とても不思議そうな顔をした同僚から聞かれたことがありました。
思わず頭を抱えてしまいました。
その問いに丁寧に答えようとすると、キリがなくなってしまうから。自分の性格的な話や今まで読んだ本の数、なりたい姿などなど、本当にいろいろなことが重なって、モチベーションやスキルになっているから。
端的にまとめると、「一本一本書いていたら気づいたら遠いところまで来てしまった」という感想なのですが、せっかくの機会なので、言語化を試みようと思います。
200本書くと決めたから
決めなければきっと何も始まりませんでした。だから「やる」と決めてみたことがすべての始まりです。
「書きたいものがあること」と「書くことを決めること」は、にわとりとたまごの関係に似ています。
書こうとしていると書きたいことに気づくことがあり、書くというアウトプットをすると決めてないと、そこに気づくことはないかもしれません。
だからなによりもまず、決めることが大切でした。
(200本にした理由は深津さんが「1年で200本くらい書いてた」って言ってたからですね。ただそれだけで、深い意味はそこまでないです。)
書きたいことが見つかるから
書くことを継続しているとネタがなくなるかと思っていたのですが、むしろ日々生活をしているだけで書きたいことがたまっていきました。
「発信したい」というより「よく考えたい」ことをnoteにしています。考えながら書いて、書きながら考えて、2000-3000文字程度にまとめることを繰り返しています。
iPhoneのメモアプリをつかって、「noteメモ」というカテゴリを作って、なんとなく書きたいかもと思ったことを貯めるようにしています。
書きたいことがあるから、ついつい書いてしまうという感覚です。
行動へのハードルが低いから
最近よく自覚をしますが、自分は人に比べて新しいことをすることに抵抗がないようです。良い意味で自分に期待をしないで相手からの期待に応える気がないからかもしれません。
まずやってみる
やってみて良かったら続ける
ダメだったらやめる。
失敗をマイナスのものだと捉えていないので、結果や周りの目線が行動へのハードルになることがそこまでありません。
「人生は無駄なことをしてなんぼ」だと思っている節があり、「どれだけ面白がりながら自分の感性に従えるか」ということを大切にしています。
むしろ気になることができないことは、自分の人生を生きることができていないかもしれない、とさえ思ってしまいます。
周りの期待に応えないから
継続したり成果が出たりすると、色々な人が色々な期待をしてくれます。ただあえてそれらの期待には応えない瞬間を大切にしています。
周りの人や環境からの呼びかけを、自分を動かす力として活用することには問題がないのですが、他人の想いに依存するようになると、途端にバランスが悪くなります。
モチベーションが自分の外側にあると、アウトプットに至るまでのプロセスを大事にできず、ついつい結果にフォーカスされがちです。
他人からの評価は、自分の何かしらの表現の一部を見ているだけでしかなく、その手前の自分の秘めた思いや思考は他人に届くことはありません。
だから周りの期待よりも自分がやりたい気持ちを大切にしています。
書くスピードが早いから
単純だけど大切なことかもしれません。同じ文字量を書くのでも15分なのか30分なのかで、書くことへの行動へのハードルもかかる時間も、全然違います。
2000-3000文字の文章なら1時間くらいで書けるので、一日30分時間を取れば二日で1本のnoteが書けるイメージです。
30分くらいなら一日の中で工夫すれば作れる時間なので、通勤中やお風呂入りながら、コーヒー飲みながら、ゆるゆるとnoteを書く時間を作っています。
書かずにはいられないから
もうこれはよくわかりません。たまに無性に自分の気持ちを文字にしたくなるときがあります。
色々な気持ちが混じっていると思うのですが、「あ、書こう。」という気持ちでの発露が多いから、書いてしまっている気がします。
一緒に書く人がいるから
次第にTwitterで反応をもらうようになったり仲が良い人ができたりして、noteを書くことによって生まれる世界観がすきになっていきました。
「noteがすき!」と言っていると、不思議と同じような人たちが集まってきて、一緒にいて楽しい人とよく巡り合うことができています。
Twitterでいつもバカみたいな絡みをしてくれるみなさんがだいすきで、noteでやさしく絡んでくれる人がだいすきです。
一緒に書いて一緒に読んで、もうその体験だけでぼくは十分に書き続ける理由になります。
考えることがすきだから
書きながら考えることが多く、考えるために書いていることも多いです。
何か自分の中で引っかかったことがあれば、文章にしながら考えていきたいから、よく文字を書きます。
noteは、自分の思考を一応他人が読めるように加工している文章なので、「自分の思考≒note」のような位置付けです。
だからきっと考えることが嫌いになったらnoteを書けなくなってしまう気がしますが、当面の間は書き続けられる気がしてきます。
自己変容が簡単だから
感覚的に「自分は変わりやすい」と思っています。新しい習慣を試すことや環境を変化させることに躊躇いがありません。
一度色々なものを失ったことがあり、いまある日常や生活がものすごく尊いものだと毎日感じるので、「どんなに失敗してもあの時よりは悪くならないだろう」と楽観視している節があります。
人生のハードルがすごく低く、失うものへの自覚が少ないから、挑戦がしやすいのかもしれません。
人生の白地図の書き手は自分だけ
自分の目の前に真っ白な地図が広がっているのです。自由に自分が表現できる地図。行きたい場所を決められる地図。その地図はあなたに書かれるのを待っています。
ぼくはその白地図に、たまたまnoteというサービスという形で出会いました。
あなたにとってのそれは紙のノートかもしれない、ユーチューブかもしれない、瞑想かもしれない、ランニングかもしれない。
でもひとはいつか必ず出会ってしまうと思うのです。
自分を表現できる器に。自分が収まる箱に。自分のための空間に。その出会いがあったならあとは飛び込んでしまえばいいだけだと、いつも思っています。
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TOP画像は、note書くスタイルのひらやま。いつもスマホでだいたい書いて、最後にPCで整えてます。
最後まで読んでいただきありがとうございます。