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ただ「聴く」ことの妙技

「聴く」という言葉がすきです。耳を澄ませるという姿勢を表している気がする。言葉を選ぶこともすきです。「伝える」ではなく「伝わる」言葉を用いたい。

コミュニケーションをしていく上では、聴くこと、知ることから始めて、ありのままの自分でありのままの言葉を語ることが大切なんだと思います。


一方通行なコミュニケーションの弊害

相手を論破することは心地よい側面があることを知っている。競争や比較が重要視される状況の中では、論破することで簡単に優位であることを示すことができる。

ただそれはあまりにも一方通行なコミュニケーションで。新卒で入った会社で同僚から言われた言葉たちは未だに心に残っている。

「ひらやまは、正しいこと言うけど怖い」
「ひらやまには、話しかけたくない」
「正直、話していて疲れる」

言われるまでは全然気づけなくて。むしろ「なぜ理解できないのか」という不遜な考えしか持つことができなくて。

コミュニケーションの基本的な目的は、人を動かすこと。気持ちだったり行動だったり。ただ一方通行のコミュニケーションでは「伝える」ことはできても「伝わる」ことがない。

人は、一人ひとり、圧倒的に違う

人は、一人ひとり、大切な価値観も普段の生活も今日着る服も、すべてが違う。寂しいようにも聞こえるけど、まず違うという前提に立つようにしている。

そうしないと「言わなくてもわかるよね」「わかってくれて当たり前だよね」「どうして理解できないのか」という過度な期待や不満が生じてしまうから。

ただ同時に「きっと、どこかではわかり合える」という希望も持つようにしている。「この人とは絶対にわかり合えない」と感じる世界はあまりにも寂しいから。

他人の声にじっと耳を澄ませる姿勢

茨木のり子さんの詩に「聴く力」という詩がある。

ひとの心の湖水
その深浅に
立ち止まり耳を澄ます
ということがない

風の音に驚いたり
鳥の声に惚けたり
ひとり耳そばだてる
そんなしぐさからも遠ざかるばかり

小鳥の会話がわかったせいで
古い樹木の難儀を救い
きれいな娘の病気まで直した民話
「聴耳頭巾」を持っていた うからやから
      
その末裔は我がことのみに無我夢中
舌ばかり赤くくるくると空転し
どう言いくるめようか
どう圧倒してやろうか

だが
どうして言葉たりえよう
他のものを じっと
受けとめる力がなければ

聴く力|茨木のり子

この詩を通して感じることは、真摯な姿勢の大切さ。相手の言葉をじっと待つこと。自分のペースにはめないこと。

それはときに忍耐強さや懐の広さを要求してくるかもしれない。それでも相手と相手の言葉に真摯に向き合うという姿勢自体が尊いものなのだと思う。

まるごとの自分で「その人」の声を聴く

男性なのか、女性なのか、若いのか、老齢なのか、インドア派なのか、アウトドア派なのか、猫派なのか、犬派なのか、フリーランスなのか、社長なのか。

相手のことを自分の色眼鏡で勝手にセグメントせずに、ただ「その人」としての声を聴くこと。それは、簡単なようで難しくて。

心がけていることは、相手の期待に応えようとしないこと。

セグメントして傾向を分析して構えなければいけないとき、心の中には無意識に「うまく話そう」「上手に見せよう」といった下心がある。

もちろん人に好かれることは嬉しいけど、その人の期待に応え続けることは難しいし、何より自然な自分ではいられない。

礼儀や節度を持った上で、自然に振る舞う。純粋に気になったことを聞き、そうでないことは聞かない。思ったことを伝える。

それで好かれたり嫌われたりするかもしれないけれど、それを判断するのは相手しかできなくて。極端かもしれないけれど、自分がどんな行動をしても好かれるときは好かれるし嫌われるときは嫌われる、と思っている。

だから、相手をただ「その人」と見るように、自分も「ただの自分」と捉えている。どんなに着飾っても、どんなに取り繕っても、結局のところ自分は自分でしかないのだから。

良い部分も悪い部分も含めてまるごとの自分で「その人」の声を聴く。そしてそれは相手を知りたいという真摯な姿勢から始まる。

「ただの自分」から出る言葉が「伝わる」言葉

まるごとの自分で向き合いながら、真摯に相手を知りたいと思い、一つ一つの言葉を受け止めていく。その過程を経て、「ただの自分」から出てくる言葉が「伝わる」言葉なのだと思う。

嘘や偽りのない、ありのままの自分から出る言葉。
相手の気持ちを、いい意味で考慮していない言葉。
誰かの言葉ではなく、自分の心の底から湧き上がる言葉。

それは不格好で弱々しい言葉かもしれない。
あるいは切れ味鋭いナイフのような言葉かもしれない。
はたまたベンチャー企業のミッションのような言葉かもしれない。

その言葉は聞き手を選ぶかもしれない。誤解を生み、自分に困難を感じさせるかもしれない。

でももし、その「ただの自分」から出る言葉を見つけられたなら、「伝える」ことをやめないでほしい。それが「伝わる」人はきっとどこかにいるから。

そして、その言葉とその人を見つけられたなら、人生は輝き出すのだと思う。

「ただの自分」から出る言葉と「伝わる」人を探すことが人生そのものなのかもしれないと思った華の金曜日。

「伝える」ことよりも「伝わる」ことが大切。それは相手の言葉を聴くことから始まる。「その人」の声を聴く真摯さとありのままの自分で向き合う誠実さ。その過程を経て生まれる言葉が「伝わる」言葉。「ただの自分」から出る言葉と「伝わる」人を探すことが人生そのものなのかもしれない。

TOPと記事中の画像は、cotree社内の植物。櫻本さんが京都で買ってきた信楽焼の鉢とともに。


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