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詩「あ、悟った。重ね合わせの真実」

毎度の備忘録です~

今夜も、確かな骨子だけ書き綴っていきます。


素粒子の実体はあくまでどこにもない。

これは、リンゴ🍏が目の前にあるように見える人間の常識を覆す事実だ。
というのが量子論。

その根拠は、数学的に素粒子が今そこに存在する場所が確定できないという事実に基づく。

こういって量子論は人を煙に巻いてきた。

なぜ、人を混乱に陥れようとするのか?それが刺激的でメディアが潤うから?

そんな噂もあったが、きっとそうではないだろう。

単純に、自分自身も混乱の中にあり、助けを求めているからだ。

今夜、そこに答えを投じたいと思う。

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そもそも数学的事実というのは、人に認識可能な2次元空間に落とし込む影絵である。

3次元の実体空間の舞踏が投影された、2次元にプロットされた影絵が数学的事実である。

数学的事実には、時間軸と空間軸が定義されていることがそもそもの混乱原因なのだけれども、今夜はそこには触れない。

よく考えてみて欲しい。
量子論が、「意味不明なぶっ飛んだ論理破綻した事実」を真実のように語る根拠を。

「今この場所に素粒子が存在する事実はないから」

この一点に尽きる。

は?
何言ってんの?

この「場所」や「時間」は、あなたが規定した概念で基準に過ぎないですよね?
それが元々世界に置かれていた根拠はどこにあるの?

更にそれは「粒子があって、その背景に時間が流れている」というビジョンがあってのものですよね?

その前提が成立する前提はどこにあるんですか?

支離滅裂はとはこのことですよ?

いいですか?

時空間は創られるものなんです。

初めからそこにはない。

瞬間的に。事後的に。

だから、観測するまで素粒子の居場所がないだけなんです。

至極簡単な話です。

別に不思議なことはありません。

不思議とは、常に人の理解が及ばない時に発せられる言葉です。


宇宙の真実は、人間の理解に関係なく、いつも傍らに横たわっています。

つまり、人の理解が足りていないだけです。

「不思議」と発言する人は、とんでもなく自己中心的な思想の持ち主です。

何故なら、自分自身の理解を世界のあり方の基準に定めているからです。


なんかディスり気味ですいません。そうでもしないと・・
かつてガリレオ・ガリレイがそういう本を出版した気持ちがよく分ります(笑)









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