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苦手科目は断トツ数学

数学は一番苦手。ずっとそう思って生きていた。そして、たとえ国語が出来ても、数学が出来ないと勉強が出来ない子なのだと思ってた。だから、自分は馬鹿なんだとずっと自覚している。数学が出来ないことは自分のコンプレックスのひとつだ。
建築の仕事をしていた父の仕事を手伝うと決めた時、この方面においては、馬鹿な自分は人より遠回りしても人より時間がかかっても仕方がないと明らめて、やるっきゃない精神で仕事を覚えた。建築の仕事は数学が得意な人のする仕事だと思っていたからだ。
父は自分で始めた会社は自分の代で終わらせるんだと、継ぐことなど考えなくていいと言ったが、進路を模索する頃には身分不相応にもどこかで気にしていた。そして、数学は苦手だから美術の方面からなら手伝えるかもと進む方向を決めた。だが、いざ美術の方へと足を踏み入れたら、そっちが楽しくなった。そうしてフラフラしているうちに父が倒れ、否応なく建築の仕事を手伝うことになり、ガッツリ数字とにらめっこすることになって気が遠くなりかけた。けれど、切羽詰まると人は根性が据わる。苦手などと言ってられず、図面を描き続けた。
CADを使って図面を描き始めた時、X、Yの数字が必要で、数字が言葉のように並んでいたけど、CADの操作を覚えさえすれば図面は描けて、問題はなかった。CADという道具に随分助けられた部分が大きかったし、幸い、私の目には数学や数字というより、線や図形、絵のように見えたのが良かったのかもしれない。平面図を描く時には、部屋の間取りを想像して楽しく、立面に立ち上げると立体的に見えて尚、楽しかった。時々、電卓を叩く時ヒヤッとするくらいだった。図面は図面でも意匠図なら、数学が出来なかった自分でも描けるもんだ…と、少し苦手意識は消えていた。
父の会社とは別に、出稼ぎと称して別の会社へ図面を描きに勤めていたことがある。父の会社では意匠図を描くことが多かったが、そこでは意匠図と施工図も描かねばならなかった。数学的要素が増えたのだ。鉄工所の強面のおじさんたちが、関数電卓を使いこなしているのに失礼ながら感激した。どこからどう見ても数学とは無縁のように見えていたからだ。
「これが出来ないのに、図面が描けるんか?」
と突っ込まれて、自分が馬鹿なこととCADのすごさに改めて気付いた。CADなら、X,Y軸の数字を入れて、二点をクリックすれば難なく数字が出る。わざわざ電卓を叩かなくても済む。
強面のおじさんたちはCADは使えないが、CADなら勝手にしてくれる計算を計算機を用いて鉄骨の長さを決めていた。毎日のように三角関数を使っていたのだ。強面のおじさんを見る目が尊敬のまなざしへと変わった。
最近、ドラマ「ドラゴン桜」に関連したTwitterでも、同じような投稿がピックアップされていた。強面の叔父さんに三角関数だけはやっておけと言われたというものだ。
今時は、YouTubeなる便利なモノがこの世にある。どんなだったかと三角関数を検索した。苦手な上にもう遠い昔のことですっかり忘れている。まず三角関数を見て、ん?ちょっと待って、三平方の定理…ん?ちょっと待って、平方根の計算てどうするんだっけ?と、どんどんミルフィーユのように分からない所が重なって、遡ること中学の数学まで舞い戻った。あっという間に苦手意識を持った時へと戻ってしまった。いつでも何度でも立ち止まって遡れるのは有難い。便利な時代になったものだ。
ああ、こんなだったかと少しづつ思い出しながら見ているうち、思いのほか楽しくなってきた。こんなおばさんになって改めて数学に触れると新鮮で、面白いと思える自分が楽しく、それが不思議だった。
分からないことが分かるのは楽しいものだ。ちょうど人生なんて、分からないことばかりでウンザリしていたところだ。
その日から毎朝ひとつYouTubeで数学の映像授業を見て見ることにした。今時の子達の勉強はこんな風で楽しいね…と、また羨ましくなった。私だって、こんな風に授業が受けれていたら秀才になっていたかもしれんがな…と、タラレバで言っても仕方がないことを考えた。何で、こんなに面白いのに苦手だったんだろう…とかつての自分に問いたいくらいだった。
「これはもう、絶対覚えて。」という言葉に、かつて数学が得意だった友人が「数学は暗記よ。」と言っていたことを思い出した。同時に、いろんな定理が出てくるたびに、「なんで?」と考えてしまう自分が、昔もそうだったと思い出した。とりあえず覚える!ということに抵抗していたのだ。数学者でもあるまいし、ましてや然程賢くもないくせに、偉大なる数学者が人生をかけて導き出した定理に「なんで?」という愚門を投げ、思考停止していたのだ。
今も同じように「なんで?」と言いながら、ストップボタンを押して、定理の数式を眺めている自分が可笑しい。昔と違うのは、思考停止したままではないところだ。なぜそうなるのかは未知のままだが、最初の基本の定理が分かれば、覚えろと言われる数式の道理は敢えて覚えずとも納得ができた。強ち、ただ丸暗記ということでもないじゃないか…と思った。
「えー!不思議。どうしてそんなことになるんだろうね…。」
といって、問題を解けばいい。今は大人になったから、素直にその定理を受け入れられる。大人になった今の方が素直なのが可笑しい。そんなバカげたことを考えていたことを、数学が得意な夫に話すと
「定理は道具や。」
ときっぱり言った。問題を解くための道具。道具が増えれば増えるほど、解ける問題が増えていく。問題を解く度、どれが使えるかな?と持っている道具を探すんだと。これまで解けなかった問題が新しく道具を教えてもらえると解けるようになる。それがとても楽しかったと言った。
数学が人生に関わるとすれば、目的のためにはどうすればいいか、ルールや技術や知識をどう使って合理的にことを進めればいいかを考えることが出来る…そんな思考だろうか。ただの思いつきや直感、何となくというあいまいな考え方ではない。正に夫が得意な考え方であり、私に足りない考え方である。
私はずっと武器を持たずに戦ってきたようなものだ。難題にぶち当たった時、武器でなく根性で乗り越えようとする。精神面で何とかしようとする。でも、大抵はどうにもならなくなって、漸く何とか方法を考える。それではしんどいということが大人になるにつれて分かってきた。
一方で、私は答えのないことを一応考えてみようとするが、夫は答えのない曖昧なことに関しては最初から考えようとしない。神秘的なことや人の気持ちには無頓着である。
どちらが優れていて、良いか悪いか、正しいかそうでないかではない。どちらも必要なことだ。それぞれの個性であり役割でもある。
数学的思考って大事ね。大事だったね。それを分からないで遠回りしたね。自ら慰めを添えるなら、人生の答えはひとつではないということだろうか。
「死ぬまでに、数学が楽しいと思えてよかったなあ。」
と夫に言われて、ちょっと馬鹿にされたような…、でもちょっと嬉しい私でありました。


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