子どもを育てる・子どもが育つ・わたしを育てる
子育て子育てさんざん言ってきたけど
最近は「育てる」すらおこがましく感じる。
子は・人は「育つ」んだ。
目的語じゃない。
「育つ」の循環の中で、もし「育てる」が必要だとしたらそれは「対自分」の時だけ。
自分を育てて、相手のソダツにそっていく。
叱ることもあれば諭すこともあるけど
それは「育てる」を言い訳にやってる?
「育つ」にそうためにやってる?
相手にとってどっちの意味を持つ?
という問いかけがある。
これ、理想論なので実践すべし!と思ってもなかなか難しいけど、理想がズレてると全部ズレていくからなぁ。
なんでもそうだよね。
昔、保育実習の時に、ベテランの園長先生から学んだこと。
「子どもを寝かしつける」んじゃない。
「子どもが眠る」のを助けるだけ。
それって、すべてなんじゃないかな。
トイトレ、勉強、しつけの類すべて
人が生きていくことの根本には
目的語で見て悪気なく奪ってるものを
主語に置き換えてその人にちゃんと託す
そういう愛が必要なのではないかな。
(Tokyo, Japan)
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