「答え」のない時代 大切なのは親と子どもの独自のヴィジョン
美術教育にすら『答え』がある日本の学校教育
私が、子どものためのクラスを始めたのは、長男が小学校に入学して、授業の全てに一つの答えが用意されていることを目のあたりにしたからです。図工の時間でさえも制作するためのキットが用意されています。息子は、小学校に入学してすぐに担任の先生に「なんで黒板に向かってずっと座っていなければいけないのですか?」と尋ねたそうで、担任のいわゆるベテラン先生からは、「多くの生徒を見てきたので、小学校に入学した時点で、子どもがどの様になっていくかは大方わかるけれども、あなたの息子さんに関しては全くわかりません。」と初めての面談で言われました。また、その面談で、「アメリカでよくあるショー・アンド・テルの様な、子どもたちひとりひとりが自らの考えを表現する時間はありますか?」と尋ねてみたところ、「そんな時間を設ける余裕はありません」ときっぱり言われてしまいました。のびのびと個性を伸ばす方針であった幼稚園とは真逆の答えでした。同じ学園でも、幼稚園と公教育のはじまる小学校では、大きなギャップがあるのを感じました。多くの学校では、勉強とは発見ではなくて、一つの正しい回答に向かって、先生から教え込まれるものであるということを、叩きこまれてしまうのです。その後、国内外のアーティストと共に都内の小学校の図工の授業を行なって来ましたが、5年生くらいになると、先生が求める一つの回答に答える塩梅が身についていて、図工も本気で自らの思いを巡らすのではなくて、適当な限られた範囲のもので済ます癖がついている子ども達がとても多いことに気づきました。私たちが行う5年生以上向けの授業は、適当な回答を探す態度から抜けてもらうのに2時間授業の半分を使います。とてもおそろしい事だと思いました。用意された答えがないことを、考え、表現する時間をつくる必要があると思い、自らそのためのクラスを開くことにしました。
今の時代は、たくさんの情報を、世界中の人が簡単に手に入れられる様になりました。共通する情報から、理論的に思考するだけでは、多くの答えが同じものになっていきます。そこでは他との差異を生み出し新しい価値を創出することが出来ません。そして情報を基にして論理的に導き出されるものの多くを、AIが肩代わりできる環境が急速に発展しています。その様な状況の中で、人ができるポテンシャルはどこにあるのでしょうか。AIは、雑音に弱いと言われています。人間は様々な雑音や状況等の変化があっても、自らが選んで行動しようとしていることからブレてしまうことはあまりありません。自動運転は、予想外の異物に出くわすと、人間なら問題なく運転できるようなことでも、道を外れたりする可能性が高まるそうです。それは、ビックデータから道引き出されるものから外れるエリアが、人間特有の思考、ポテンシャル領域となることを示唆しています。誰もが当然と考えるように教えられてきたシステムを覚えそれに乗れることに価値が置かれるのではなく、大きなシステムから外れて離れたオルタナティブな道、独自な道が、独創的な新しい価値とされていくのでしょう。規制の枠を外して自由に想像力と創造力をフルに生かすことが求められるでしょう。
[写真: 朝晩1時間の通勤をテスラで行い、リラックスする様子のドバイの友人]
こうした状況に文科省も注目し、教育の新たなガイドライン作成を進めています。経団連会長の中西宏明氏がこの中で「生涯雇用の崩壊」と「就職ルール」の変化に言及したことは大きな議論を呼びましたが、2018年末に経団連定例記者会でSociety 5.0を見越した新しい産業構造への転換に向けて提言がなされたことをきっかけに、産学官が参加する協議会が開かれ教育方針の見直しが進んでいます。キーワードだけをここに抜粋すると、「パラダイムシフトの先を見据えてロードマップを描ける力」や個人の成長をその過程や表現も含めて見る「ポートフォリオ評価」などがあげられます。時代が変わっていることを、政府や教育機関も認識し、それに合わせた変化を促進することが考えられているのです。コロナ禍がもたらした世界的な影響で、このことは一層大きな課題となっています。
クリエイティブ・ペアレントのビジョンが大切な時
教育制度も大きな移行期を迎えています。この移行期にあるということを意識するのはとても重要です。現状の公教育が大きな方針転換を打ち出すのは早晩のことでしょう。しかし、国を挙げての突然の教育方針の転換に、なんの心積もりもなく巻き込まれては、一番かわいそうなのは子どもです。子育ては待った無しです。こんな状況の今だからこそ、親が子育てビジョンを持つ必要があります。子どもの命を育みながら、考え、試行することがそれぞれの親に求められます。なぜなら一つの正解などないからです。様々なデータの集計が示すものが科学的で良いということに必ずしもならないのです。それぞれが、それぞれのヴィジョンに基づき試行することが大切になってきます。学校教育も個性を育てる方向に向かい始めているところもありますが、子どもの時間は、学校以外で過ごす時間の方が多いのです。ですから、昨今溢れる多くの数値だけに基づいて考えるよりも、様々な個別の取り組みの中に、各自の子育てのビジョンのカギとなる出会いがあるはずです。それぞれの独創的な子育てを共有し、それを参考に自らの子育てのビジョンを考えることが、大切な時に来ています。その一つの例として、私の子育てが少しでも参考になれば幸いですし、いろいろなクリエイティブペアレンツの方々の生き方と子育てを発信していきたいと思っています。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?