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テーブルの裏のお絵かきと、山をただ歩くことで父が導いた私の芸術への道〜クリエイティブ・ペアレンツへのインタビュー第8回 :パフォーマーで演出家の松島誠さん(後編)

今週も世界的で活躍するパフォーマー・演出家の松島誠さんのインタビューです。

今回は松島さんのお父様との心打つエピソードをゆっくり読んでいただければと思います。親子の絆や体験が手渡されてゆくことが、ひとりひとりを大事にした心ある未来を作ってゆくことを深く気づかせてくれます。

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「子どもが生まれてあらゆる感覚が変わりました。生まれたばかりの小さな柔らかな赤ちゃんの横に寝るときは、踏み潰してしまわないか、心配しました。そのように小さないのちを扱うことで、メンタルが変わるので顔が変わったとよく人から言われました。また、話せるようになると当たり前の何故をもう一度問い直すことが増えました。例えば一緒に買い物に行く道すがらの信号機でも、「なぜ、赤で止まって、なぜ青で進むの?信号の光はみどりなのに、なぜ青というの?」と聞かれます。私が当たり前になっていることも、「なんで・・?」と毎日娘は疑問を発します。それに対してはできるだけ簡単な言葉で答えています。アーティストは、何故?とか疑問から作品を作ります。ですから、この何故?というのはクリエーションの鍵です娘といると、より身近なところから自分の身体に問いかけをさせられます。」

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[松島さんがお子さんと一緒に作られたチラシ用の絵]

「私は舞台美術を作るところから、パフォーマーになっていきました。私は、絵を描くことが小さい時から好きでした。ある時壁に落書きして母に大変怒られました。しかし父は、それは良いではないかと言って叱りませんでした。私は普段父とはコミュニケーションすることは少なく、1日に一言ぐらいでした。その父が叱ることなく、描くことを認めてくれたことは、私には大きな出来事でした。その後も父と二人でテーブルの裏側にいっぱいに絵を描きました。今はもうないあのテーブルをひっくり返すたびに思い出し、なんとも言えない思いになりました。

あまり話をしなかった父ですが、春と秋に山菜を取るために、富士山の裾野に一緒にいきました。ほとんど話もせずに、ただひたすら歩いて行くのです。ひたすら登って歩いていきました。ただ歩き続けたことが、私の中では大きな記憶となっています。」

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「今は娘と海に行きますが、そこは石と流木があるだけです。そこで過ごす時間は、父と山を歩いたことにつながります。ただ山を何時間も歩く。浜には何もないようだけど、感覚を開いて見ると実は色々たくさんある、石は見たことのない生き物の卵になり、流木は龍になり魚になり弓矢になり、あたらしい森の木になります。そしてそのままの面白い形のモノです。そのような感じを大事にしています。」


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「東京にいると耳をふさぐことがあります。音を選びたくなるのです。しかしここの暮らしでは、耳を澄まします。雨の音の強弱や風の音を楽しみます。その音の中に、イメージを広げていけます。東京では、絶えず音楽を流していましたが、今の生活では、音楽がないことも楽しんでいます。雑音のない時間というだけでなく音のない時間を楽しんでいます。過剰な音より何もない隙間をよく感じます。ない方が良いことがたくさんあります。いらないものをそぎ落とす方が豊かになると感じています。」

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「来年には、娘は小学生になります。小学校という公教育の場に入ることになります。そこで型にはめられがちなこともあるでしょう。しかし、「誰のものまねをすることはない。」人の真似をしないと友達になれないように思うこともあるかもしれません。それでも自分の思いや感じることを自然に発言して行って欲しい。したいと思った時に、パッとできる人であってもらいたいと思います。自分が教育に関わる時も、答えがないことが問われる時には、「あなたはどう考える?」ということをベースにして、フレキシブルに、どうしたら良いか考えるということで行なっています。

見本を見せて、馬や、牛に似て描いてるから良いというのではない。石を触ったことがあるのか?山や海を画像の画面だけで知っているのか?実際の海が心に焼きついているのか?父との野山の感覚を数十年たっても私もまだ思い出します。父は私のパフォーマーとしての仕事を理解しようとはしませんでした。私が新幹線のチケットと宿代も出すから見に来て欲しい、と誘っても来ることはありませんでした。
30年関わったパパ・タラフマラのグループ解散最後の公演には来てくれました。
父が私の仕事を見たのは、そのたった1回だけです。父はアートをあえて理解しようとはしないようでした。踏み込まず、傍観していたようでした。しかし私を芸術に導いたのは父です。絵を思いっきり描くことを認めて、ともにテーブルの裏に描いたこと、そしてただ山を歩いたことが、価値となり、私が今の道を歩むことになりました。娘にも、このようなことが体験とともに育っていけばと思って日々の暮らしをともにしています。」


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