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共感されない安心と、理解されない喜びと。

今日は、というか今日も、体調がすこぶる悪く、気力はとにかく上がらず、体はすさまじく重くだるく、なんとか生きている。

夏の終わりは抑うつの季節の始まり。気温がぐっと下がると、抑うつがやってくる。止めようがなく気持ちがかなしさや寂しさや虚しさの方へ落ちていく。

秋から冬の抑うつ期間はほんとうに「生き延びるために生きる」。抑うつ症状のある精神疾患患者にとって、秋から冬は戦いの季節だ。静かに、そして張り詰めた、熾烈な戦いの季節。

私は双極性障害の診断を受けている。11年ほど前にうつ病の診断を受け、その1年後に双極性障害の診断に切り替わった。

診断が下りてみれば、症状が出始めたのははるか昔、中学生の頃。だから、私は症状が出始めて25年、治療を受けるようになって10年。双極性障害とともに生きている。

そして、我が家の上の息子。こちらは起立性調節障害の診断が下りている。小学生のうちに、さらに男の子で発症するのは珍しいらしい。

症状は強く、全く起きられない1年を経て、現在4年目。低血圧、抑うつ、強迫性傾向、不眠が主な症状。毎日つらそうだ。

しかし、具体的に抑うつ症状のなにがつらいのか?と聞かれても、もう付き合いが長くなりすぎて、「え?なんだっけ?」というのが正直なところ。身近すぎて、慣れすぎて、当たり前になってしまったことが多すぎる。

そして、こう思えるのも、自分に合うクリニックを見つけられたこと、自分の症状に合う薬と出会えたからなのだと思う。

私の人生と体調は、薬でできている。

でも、息子はそうじゃない。まだまだ症状と格闘中。こちらは戦いのさなかであるがために、つらさを言語化できていない。

彼の問題やつらさが表面化した時に、私が「こんな感じ?」と聞いてみると、「そんな感じ」と返ってくるので、やはり抑うつ症状は、気のせいなどではなく、れっきとした「症状」なのだなと思わされる。

私と上の息子の間には、私の闘病経験という共通言語がある。共感と理解がある。しかし、下の息子や末っ子娘はそうはいかない。

我が家は子ども3人、ほぼ年子。加えて全員不登校。不登校というと、家でも自室に引きこもり、会話が無くなるというイメージがあるけれど、我が家は全員リビングに集結する。

もともと勉強部屋などなく、食卓で宿題をやっていた延長線上。スマホゲームもyoutubeもニコニコ動画もリビング。誰がなにをやっているのか?観ているのか?筒抜け。

そしてしゃべる。一日中しゃべっている。私のフリーランスの仕事も、外に持ち出さない日はリビングなので、みんなでずっとしゃべっている。

だから喧嘩は起きる。上の息子のマイナス思考変換機が稼働し始めると、必ず兄弟喧嘩が勃発する。「どうしてそう解釈するんだ?」と下の2人。キリキリしている。

私が上の息子の気持ちや、そうなってしまうメカニズムを一生懸命説明しても、もはや「かっかちゃんはあいつを甘やかしてばかりいる!」としかならない。

どうして共感しようとしないんだ!理解しようとしないんだ!といらだつ私。

でもね、と別の私が言う。「わからないって、いいことなんだよ。だって、こんなつらい思い、わかってしまうってことは、そのひともつらい思いをしたことがあるってことでしょう?」

そういえば、と私は思う。私の抑うつ症状がつらい時、泣いている私を置いて仕事に出かけていく夫を「なんでわかってくれないんだ!こんなにつらいのに!」と思っていた。

でも、夫が私に共感して「つらいね、つらいね」と泣いてくれたらよかったのか?「そばにいるよ」と仕事に行かずに、一緒に居ればよかったのか?

そうではない。夫が私を置いて仕事に行ってくれたから、私も子どもたちも生活することができたのだ。私をひとりにしてくれたから、私はひとりで向き合うことができたのだ。

私のつらさに引きずられないでちゃんとほがらかに生きてくれた夫を、私は誇りに思うし、感謝している。今だからこそ、だけれど。

抑うつ症状を共感されないということは、理解されないということは、そのひとの健やかさを、精神疾患から程遠い力強い健やかさを証明している。

共感されない安心、理解されない喜び。

私はそのひとの健やかな心を、体を喜びたい。そして、それでもそばにいてくれることに、心と体全部で、感謝を。

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