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義父のおせちは動かないーためにならない京都ランチ紀行(第3回)

『ドラゴンボール』のセル戦編に印象深いシーンがある。悟空が息子の御飯を超サイヤ人に覚醒させるべく修行する回(単行本32巻)だ。

悟空は言う。
「超サイヤ人はまず怒りがきっかけになる。怒れ!プッツンと切れるんだ」と。
対して、御飯は、
「そ・・・そんなこといったって・・・・・・おこれないよ・・・・・・」と弱音を吐く。そんな御飯に悟空は、
「オラやピッコロがセルに殺されそうだと想像してみろ!」とアドバイスをする。

・・・改めてこう書きだしてみると、父親としてはかなりだめなトンデモ鬼畜発言だと思うが、それはまぁさておき…。
これまでも色々理不尽な目にあってきた御飯だが、このシーンが一番大変だなぁと御飯に同情したのだ。

というのは、「怒れ!」て言われて、私はなかなか怒れないからだ。
短気で血の気は多いほうだが、私は怒りが持続しない。だから、思い出して超サイヤ人になれるほどの怒りの記憶がないのだ。

……と思っていたが、なれる可能性の記憶が一つだけあった。
早くも前言撤回で申し訳ない。

私がいまだに怒っていること、それは、

グルーポンのおせち事件

である。

どんな事件かお忘れの方はぜひググっていただきたい。
「あぁーこんなことあったあったw」と思い出していただきたい。

そして、「え?そんなに怒っているということは…まさか!あのおせち、頼んだの!?」とお思いになられるだろう。

否。頼んでいない。
私はニュースで知っただけの部外者である。

しかし、事件がテレビで流れた時、あんなおせちが届いたご家庭の皆さんの悲しみはいかばかりかと心の底から心痛した。

はれの日にあんなスカスカよこしやがって!
8Pチーズにも失礼でしょ!

と、このように、いまだに怒れる。
もし、頼んでいた当事者だったら私はどうなっていたか。超サイヤ人3に飛び級でなれたかもしれない。

というわけで、(どういうわけで?)前置きが長くなったが、つまりは
私はおせちを愛するおせち大好き人間だ。
もともと好きだったが、結婚し、お正月を京都にある義実家で迎えるようになってから、ますます加速した。

京都は「おせち大国」と言っていいほど、老舗から庶民の通う惣菜屋まで、あらゆるお店がおせちを販売している。目ン玉飛び出るような高価なものもあれば、リーズナブルなものまで、バラエティ豊かだ。故に京都は、作るより買う家庭は多いのではと思う。義実家も例外ではなく、11月ごろになると、どのお店のおせちが食べたいかと義母が聞いてくる。

義母は毎年、お正月に煮物やお雑煮を作ってくれるが、おせちは高島屋で注文する。しかも、元日から私達一家が自宅に戻った後に食べる用として、さらにもう一種類、おせちを別で注文してくれる(トップ画像がそれ)。
なので、私は、毎年2種類のお店の豪華おせちを堪能している。
ふ、ふ、ふ!すごいだろう!

だから、年末頃になるとソワソワして、毎日ランチで散歩がてら、どのお店がどんなおせちを販売しているかを物色し情報収集する。
情報は伝えることもあるが、最終的には義母のチョイスに任せるのが常だ。

義母の選ぶおせちはいつも素晴らしい。これまで食べたおせちは、今思い出しても、どれも極楽浄土にいける味だった。
下鴨茶寮の老舗和風おせちは毎年食べたい安定感。東洋亭の洋食おせちも一風変わっていたが、多彩な味付けで新年にふさわしい。
………あぁ、他にもいっぱい語り尽くせないおせちの甘美な思い出。
が、私には、毎年、食べられないけど、横目でみて、陰ながら憧れているおせちがある。
それは、

義父のおせちだ。

義父のおせちとは、義父だけが食べる用の小さなお重だ。特別な店で別で頼んでいる、といったものではない。
中身は私達が食べるのと同じおせちの一部が義母によってセレクト、加えて、市販の鴨のロースト、かまぼこ、義母手製の蕗の煮物などがギュッと詰まっている。
お重ケースは、昔、なんばグランド花月で買ったと思われる二段重のお弁当箱。蓋には芸人の似顔絵がにぎやかに描かれている。毎年これが義父のおせちケースとして再利用されているのだ。

「お父さんはみんなで食べるおせちぐちゃぐちゃにするから別にしてんねん」と、義母は語る。つまり、義父は過去のおせちの素行の悪さから、「おせち隔離」されているのだ。

義父のえらいのは、このおせちフィールドを越えず守り、自分のお重に入ったものだけを酒の肴にしながらちびちびと食べ、みんなで食べるほうのおせちには手を付けない。

だから、私はいくら義父のおせちが美味しそうに見えても(同じ内容でもそっちのほうがなぜか美味しそうに見えるのだ!)、「ちょっと私にもそれくださいよ」とは口が裂けても言えない。
「おせち隔離」、一見、悲しい策のように見えるが、あの小さな一人用のお重に無限の宇宙を感じている。

今年のおせち。今年は趣向を変えて京都のお店以外に金沢のお店のおせちも頼んでくれた。
なんとカニが!だし巻き卵や煮物は義母の手製。
義父のおせちはこれらと別に盛られる。


ーーさて、今回こそ、本当に「ためにならないランチ紀行」の名に最もふさわしく、さらには、もはやランチブログですらないじゃん、と突っ込まれる内容になってしまった。正月のランチ(?)ということで許してもらいたい。

また、せっかく義父の話が出てきたので、最後に過去回でもたびたび書いてきた私の能力の背景について語っておきたい。

この回から読んだ人のために改めて説明すると、私には特殊能力があり、根っからの食いしん坊なのに、「行きたいと思った飲食店が休業したり閉店したりする」といったことがかなりの確率で起こる。

そして、この迷惑な能力はナチュラルボーンではなく、後天的に身についたのだ。
もしかしたら、この能力の前触れのようなことはずっと起こっていたのかもしれないが、自覚したのは夫と結婚してからである。
たびたびこうした事象が起こるので、困り憤慨していたら、夫が、
「親父と同じだ。親父も行きたいって言った店、つぶれるんだよ」
と言うのである。

それで私は「この能力はウイルス性で、お義父さんからうつされた」と思った。

しかし、荒木飛呂彦信者の夫は、

「違うよ。ウイルスなら、俺やおかんやお姉もなっているはず。でも、なっていない。つまり、あなたはもともとそういう能力を持っていたんだよ。スタンド使いはスタンド使いにひかれ合うってやつさ」

とドヤ顔で言った。
さらに、冨樫義博信者でもある夫は、

「まぁ、もしかしたら、親父の洗礼を受けて、眠っていた念が発動したのかもね」

とも。なんとも腹立つ顔だなと思いつつ、しっくりくる説明で納得してしまった。

この迷惑な能力は、私の潜在能力であり、義父から引き出されたギフトだったのだ。

もし、今後、私や義父とどこかでひかれ合うようなことが気をつけてほしい。
あなたの眠っている能力を知らず知らず発動させてしまうかもしれない。

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