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健康って、ごはんを3食きちんと食べることじゃなくて、毎日ごはんをちゃんと食べようと思えることなんじゃないか

先日、カルテットのメンバーで動画撮影を兼ねて合宿をしてきました。2泊3日の間に、メンバーがそれぞれごはんを作って朝から昼から夜から、練習とごはんのルーティン。

幸せな時間なのですが

普段2食か1食しかしていないので、胃腸はびっくり気味。体調こそ崩さなかったので良かったけど

良くも悪くも普段のリズムが崩れるのは、私的にはちょっとしんどかったわけです。

家に帰ってきて、翌日の朝おなかが減り、パスタを作って食べましたところ

こんな不味いのたべたことない…!

というシロモノが出来上がってしまいました。

…んなっ………!!!

って感じのパスタです。想像できますか?全然おいしくない。

ふだん不味いと思ってごはんを食べることはほとんどありません。いや、全然無いくらいだけど

2泊3日で合計7食、おいしいものを食べていたんだなと気付きました。

3日間、身体的なポテンシャルを保てたこと、音楽をする体力を維持できたのは、間違いなく"ごはん"のおかげです。食べてたからできた。

きっと味の問題だけではなく

誰かと食べるごはんのおいしさと、食卓を囲むことの何かしらのパワーです。

心をゆるした人と囲む食卓という意味で、誰でもいいわけじゃない。

あと、その人たちに食べてもらうという気持ちで作ったものかどうかという点

家族、友人、恋人

たとえ仕事仲間でも、心をゆるして囲む食卓の尊さときたら…

パスタ:「茹でて味がついていれば美味しいなんて、なめんなよ」

皿の上で漫然と広がるパスタの麺が、物言わず語ってくれました。

健康って、ごはんを3食きちんと食べることじゃなくて、毎日ごはんをちゃんと食べようと思えることなんじゃないか

なぜなら、合宿から帰ってから私は3食食べているのです。これは、実家に暮らしていた頃ぶりくらいかもしれない。

ごはんを食べる意欲は、イコール生きる意欲なのでしょうか

食べたくても食べられないってあると思う。それはもう、いろんな理由で

食べたくないのに、食べてしまうってあると思う。意思に反して体が動いてしまう

食事を摂るには理由がある。いちばん大きく言うと生きるため、いちばん小さく言うと、たった今の次の瞬間に、やりたいことがあるから。

「自己管理」なんて無機質な言葉で捉えるんじゃなくて、温度や湿度がある「食事」を。

心と身体の健康はいつも繋がっている。誰かから意欲を奪うことと、食事を奪うことは等しい。生きられなくなるからだ。

動物も人も、みんないつかは死ぬけれど
生きている間にどんな死を迎えるかはある程度選べるのかもしれない。人生の選択、それは日々たべるもので作られていくのかも。

カルテットのみんな
美味しいごはんと音楽の時間と人生を、ありがとう。

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