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離婚へ踏み出した私の話。

noteで私の別居や離婚のことをプライベート大公開で話している。そうするとまわりからもいろいろな話を聞く。そして、こんな声をきいた。

「結婚って、毛布にくるまっているようなもの。
その毛布をとりはずす勇気が出ない。」

私にとっても、結婚は毛布にくるまっているようなものだった。

その毛布の役割は、人によって違う。

経済的な保証というのもよくある。自分一人で生きていく経済力がない場合は、パートナーの経済力は頼りたくなるもの。それもよくわかる。

日本社会だと、既婚女性より独身女性のほうが風当たりが強い・・・というのは未だにあるんじゃないかと思う。結婚しているだけで風が弱まる。


私にとっての保証は・・・

ひとつは、ひとりじゃない、という安心感。ひとりって、自分で切り抜けていかなければいけないことが多い。どんな頼りない人だって、いてくれるだけで心強かったりする。

もう一つは、西洋社会で生きていく女性として、身を守ってくれるもの。西洋社会でアジア人女性の立場は弱い。私が直接関わる人たちは、みんないい人たちで、アジア人女性だからといって蔑視することもない。でも、一般的にみると、どうしても、アジア人女性は蔑視されている。でも、白人男性がパートナーだというだけで、白人男性と同じ扱いになる。

そして、私は過去の経験からPTSDに長年苦しんだ。一人で歩くことも恐怖で震える、涙がとまらない・・・なんてことを、長年経験してきた。そんな私にとって、一緒に歩く男性がいてくれることは、お守りのようなものだった。一緒に歩いているだけでボディガードになることも事実。


だから、結婚を解消することには勇気がいった。ひとりで生きていけるのか? 私は本当にひとりで夜道を歩けるのか?・・・って悩んだ。


結局、お守りとか保証とか毛布とか・・・というメリットよりも、デメリットのほうが大きくなりすぎた。もう無理、と危険信号が赤く点滅した。そして、もうやってられない!・・・となり、自分ひとりでやっていくという覚悟を決めるしかなくなった。

覚悟をきめて、ひとり・・・に足を踏み出したら、皮肉なことに、私一人のほうが、物事がすんなり進むことが多い。夫に守ってもらってると思ってたのに、実は夫が問題を引き起こしていたことが多々あるということに気づく。

そして、一人という覚悟をきめたら、人に守ってもらうという意識から、自分の身は自分で守るという意識に変わった。この意識があるから、前より堂々と自分らしく歩けるようになった。


私にとって、毛布だと信じていたものは温かく包み込んでくれるものではないと分かった。そして、毛布に包まれる必要がなくなったら、毛布から自由になった。


保証だと思ってたことは保証じゃなかった。保証してくれるという期待が生み出した幻想だった。

保証なんて、何もない。
人が何かをしてくれる保証より、自分が自分を守る保証のほうが余程確かだ。


ひとりになって、そのことをつくづく思う。


(追記)辛い思いをしているのに、不安で毛布を手放せずに苦しんでいるひとに、ちょっとでも自由への勇気を持つきっかけになってもらえれば・・・と思って書きました。



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