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職探しをしても、やりたい仕事がない。仕事が見つからない。・・・そんな時にどうするか。今は、昔より起業する人も増え、雇ってもらえなくても仕事をする可能性は増えた。

一昔前は、起業なんてハードルが今より高かった。そんな時代に、私は仕事を自分で作ってきた。そんな私の経験がきっと誰かの役にたつ・・・と思って書いておきます。


キャリアも学歴も無になった

14年くらい前のこと。イギリスのシュタイナー学校での教職をやめたとき、イギリスの資格を全く持たない私を雇ってくれるところはどこもなかった。日本で国立大学を卒業し、高校教師でもあった私だけど、イギリスでは中卒以下だった。大抵のイギリス人より、ずっとずっと数学ができるのに中卒以下。履歴書さえもみてもらえないレベル。私の採用を考慮してくれるのは日系企業くらい。でも、田舎に住んでいたから、日系企業さえもない。

今までやってきたことが、誰にも認めてもらえない。自分の過去を全否定されたような、自分の存在が無価値になったような、そんな絶望と無力感。

私のこれまでの人生はなんだったの?


シュタイナー教師の仕事

私は、シュタイナー学校の外でシュタイナー教育をしたかった。シュタイナー学校に行っている子どもたちは、もう、それだけで恵まれている。そうじゃなくて、シュタイナー教育の片鱗も触れないような子どもたちに、シュタイナー教育で学ぶ喜び、そこから得る深い体験を伝えたい。

ちょっと前までは、シュタイナー教育というと、シュタイナー学校か、日本だったらシュタイナー土曜教室くらいしか選択肢がなかった。イギリスでは、学校が終わってからとか、土曜日まで教室に通わせるっていうのはせいぜい楽器とかスポーツくらいだから、シュタイナー教室を開くというのも非現実的。つまりシュタイナー教育の仕事は、シュタイナー学校で働くくらいしかないってこと。

家計も支えないといけないから、やりたいことを無収入でやれるほど、経済的に恵まれてもいない。それなのに、やりたい活動を支える収入を得る仕事さえもない。


「あるモノから選択する」という視点をやめた

私のできる仕事がないことを知って追い詰められた私・・・仕事探すのはやめました。ヤケになったわけじゃありません。すでに在るモノのなかから探すのは、もうやめたのです。

すでに存在する仕事の中に、私にできることがないなら、自分で作ればいい。在るものから選ぶのではなく、ないなら自分で作る!・・・と思いました。在るモノのなかに、自分のほしいものがない時も、作っちゃえばいい。

追い詰められると強いのです。あとがないと思ったら、なんでもやれる。

シュタイナー学校に行っていない子供達にどうやったらシュタイナー教育を届けられるか。私は、理想を見つめていました「こうあるべき」という枠は無視しました「私にできること」という枠も吹き飛ばしました。私にできないなら、できる人に教えて貰えばいい。できる人を探せばいい。できないならできる方法を探せばいい。

「今、自分でできること」なんて限られている。その範囲にかぎっていたら、理想なんて実現できない。

でも、その限界を決めているのは他ならない私!



当時は、今みたいに、ネットを使ってどんどん起業できる状態ではなかった。ZOOMはもちろんない。SKYPEはあるけど不安定だからレッスンには実用的ではない。だから、その当時は、ネットで教えるなんていう発想も、一般的ではなかった。動画でのレッスンが最先端。せいぜいDVD付きの本とか。

そんなときに、オンラインの講座を始めたのが2010年でした。今でこそ、当たり前になっている双方向コミュニケーションのオンラインレッスンなんて、当時は誰もやっていなかった。だいたいシュタイナー教育業界は、メディアとかコンピュータを嫌う。シュタイナー業界で、動画とかネットとかが許容されるようになったのは、コロナ禍になってからです。


もしも、私は、ある仕事のなかから仕事を選ぶ姿勢で居続けたら、納得しない仕事を「こういうものだ」「仕方ない」と思いながらやり続けるしかなかった。

ないなら作れ。
理想の形が現存しないなら、自分で理想を実現する。

一気じゃなくていい。
一歩一歩でいいから、歩み続ける。


まだ、歩み続けてます。
私も変わり続けているし、社会も変わり続けているから、理想の形そのものがどんどん進化していくから。








すき


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