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ほんと、私は話せない子だった。

小学校1−3年生はおとなしかったけど臆することなく話していた。3年生の中盤、まさしく9歳の危機のころに、田舎の学校から、都会のドーナツ化現象の真ん中の小学校に転校した。そこから、話せなくなった。

転校先は、伝統校で優秀な学校だということで、半分以上が内緒で学区外からの越境通学。色白で、おしゃれで高そうな服をきたクラスメート達。参観日ともなれば、着物姿のお母様がたがずらっと並ぶ。

田舎の学校では、「飛び抜けて良い子」と担任の先生に言われていた私。特定の児童のことをそんなふうに言う先生ってどんなもんか?・・・とは思うけど、当の私は嬉しかった。

それが転校したら、真っ黒に日焼けした田舎臭い女子。可愛くもなく、おしゃれでもない。成績も目立たない。何も取り柄がない。

そんな中で何を話していいのかわからなくなった。変なことを言って笑われるのも怖かった。他のみんなとちょっと違う私の言葉遣いを先生が笑ったこともあって(それは、もちろん先生に悪気はないのだけど)傷ついた。間違えちゃいけない、上手に話さなきゃ、と思って、話す内容を頭の中で組み立てていると、話すチャンスは過ぎ去っていった。

で、どんどん話せなくなった。
どんどん萎縮していった。
声はますます小さくなった。


授業でも、当てられなければ声を出さない。もしも、学校が、発言した回数とか発言内容で成績をつけていたら、私の成績はめちゃめちゃだったと思う。

でも・・・「話さない」=「話すことがない」・・・のではない。

話さない分、よく観察しているので、実はいろんなことに気づいている。発言しなくて授業の内容もわかってる。いいたいことはいっぱいあるのに、ただ、それを口から言葉で発しなかったということ。

話すのは苦手だったけど、文章を書くことや絵を描くことは好きだったから、友達と交換日記や手紙で交流していた。だから、言いたいことをためこまずに発信する手段はもっていたことが救いだった。

私は、話すのが苦手でも書くことができたから、ペーパーテストでもそれなりに点をとれた。作文も書けた。だから、あえて言えば「おとなしすぎることが欠点」だけど「問題を起こさない子」で先生が心配する要素はなかった。

でも、これが逆のケースもある。

文章を書くこと、極端なことを言えば、文字を書くことそのものが苦手だけど、口頭でなら説明できる子。

書くのは苦手だけど口頭試問ならどーんと来い、という子。口頭でのテストはあまり行われず、ペーパーテストだけで評価される場合は実力を発揮できない。

実際に、読み書き障害だったりすると、よく知っていて理解していても、それを書けないからペーパーテストはものすごく不利。よくわかっている教科だって、文章で書けといわれたら辛い。障害とまでいかなくても、書くことそのものが嫌いな子も多い。

ペーパーテストに評価が偏って苦しんでいる子は多いと思う。

シュタイナー教育のすばらしいことはたくさんあるのだけど、表現は「書くこと」だけではないということ。いろんな表現力を伸ばし、それを評価してもらえることだと思う。

エッセイも書く。でも、口頭でのプレゼンもする。芸術でも表現をする。絵でも工芸でも音楽でも、自己表現の場はいっぱいある。パフォーマンスでも表現する。

子どもの様子をみていて、子どもの表現したものをいろいろな角度から見ていたら、子どもの習得度なんて見えてくる。ペーパーテストに頼ると評価も偏る。

人間には、表現の手段はいっぱいあって、それを有効利用して人に伝えていけばいくほど、豊かな表現になっていくし、自分の得意を伸ばしていくことができる。

だって、言葉だけで伝わることは限られている。そんなことは、シュタイナー教育者に限らずわかっているはず。だから、私たちは、言葉だけでなく、絵を見せたり、動画を見せたり、実際にやってみせたりして、よりわかりやすく伝える努力をする。

子どもたちだって、ペーパーだけじゃなくて、いろんな表現の機会を増やしていけば、自分の才能を活かして伸びていく子は増えるはず。

このnoteでも度々話題にのぼる私の長男は、ディスレキシア(読み書き障害)をもつ。文章が書けない。手書きではなくパソコン入力が許されるようになってから、それなりに書けるようになったけど、やはり文章を書くということは彼の得意分野じゃない。

シュタイナー学校だったから、彼の習得度をいろいろな角度から評価してもらえた。そして、彼の才能をひき出してくれた。ありがたいこと。

ちなみに、残念ながら長男は人前で話すことも上手じゃない。自意識過剰で自分に視線が集まっていると緊張してしまってしどろもどろになってしまう。

それでも、少人数の対話で、自分の興味のあることを話す時には、とても大人の対応で話すことができる。

自分の興味のあることから。そこから伸びていく。

私もそうだった。話せなかった私が、話しまくるようになったのは、好きな音楽ネタか教育論議だったらいっぱい話せると気づいてからだった。好きなことしか話せない。好きなことだったら話せる。じゃあ、好きなことから話していけばいい。

そして私は書くことは好きだから、いっぱい文章を書きまくった。このインターネット上には過去27〜28年くらい、ほぼ毎日書いてきた私の文章が積もり積もっている。たまにずいぶん昔の文章を「見つけましたーー」と言われてびっくりしたりする。

そんな発信を続けていたら、話すこともいつの間にかできるようになってた。笑


子どもが自分の思いを表現できるよう、いろんな表現方法があるんだということ、その可能性を認めてほしい。

そこからひとりひとりの自分らしさが生きてくる。



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