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令和バイリンガルティーンの無常観

久々に国語の話を。

「無常観」は、中学国語で古典文学を学ぶときに頻出するキーワードです。
鴨長明が書いた「方上記」の冒頭の部分、
「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」
という一節を暗記した人も多いのではないでしょうか。

無常観とは、まさにこの一文に凝縮されているとおり、
すべてのものは移り変わり、永遠に同じものはない
という考え方です。

この無常観という思想を、
英語と日本語のバイリンガルの日本人高校生との授業で話したことがあります。

古典作品の中では、自然の姿や、世の中の価値観、権力構造の変化などを見つめて無常観が語られることが多いのですが、
現代にも無常観は感じられるか?と問いかけてみたところ、こちらもどきどきする答えが返ってきましたよ。

カナダに住んでいる生徒さんによると、友情や、学校でのグループ構成はまさに無常観!だそうです。
BFF(Best Friend Forever)という言葉もあって、すぐにずっと友達!とか、ずっと大好き!と言うけれど、
いつの間にか、会ってもハローも言わない関係になることは多いから。

確かに!中学・高校時代の頃って、そういうことありますよね!
ハローって言いたくて目を合わせようとするけれど、相手がこっちをみていないときの気まずさ…
繊細な10代のあの頃に、もし無常観を悟っていたならば、傷つかずにいられたのかもしれません。

また、インターナショナルスクールに通う生徒さんは、
若者には無常観のような感覚を持っている人が多くて、そういう人たちは今の生活がこのまま続くことはない、とうすうす気づいていると思う。
という考察が出ました。
今の生活ってどんな生活?と掘り下げてみると、
今の生活とは、食べ物が豊富にあって、住みやすい気候で、きれいな海で泳げる生活のことで、
でも気候変動や海洋汚染の影響で、「当たり前」がどんどん変化していくんだと思う、ということでした。

これも確かに!
地球環境だけでなく、社会の構造や慣習など、今までの「当たり前」がどんどん当たり前じゃなくなっていることって、どんどん出てきますよね。
大人たちは、それが良い変化なのか、許容すべきなのか、という視点から議論しがちですが、
この世の無常、として変化を観察し受け入れる姿勢が、若い世代には備わっているのかもしれません。

無常観という思想をティーンに教えようとしたレッスンでしたが、
人生に大切な柔軟さを、私が教えてもらったひとときでした。








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