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上下関係のない教師と生徒の関係

日本語教師として、または一個人として、日本以外の国や文化で育った人と接するときに必要なのは、自分の中に無意識に発動される、相手との上下関係ジャッジに気づき、それを手放すことだと思います。

教師と生徒の上下関係が当然の日本の教育の中で育った私が、
「上下関係」がない教師と生徒の関係を目撃して衝撃を受けたのが、オーストラリアの公立ハイスクールで日本語を教えていたときのことでした。

12年生の男子生徒は、18歳なので車で登校する生徒もいるし、アルバイトもしているし、体格もすっかり大人の風貌です。
そんな男子生徒が、体育教師に、校庭で、Hey Tim!と、ファーストネームで呼びかけていたのです
呼ばれた先生も、ニコニコして、Hi! と応じていました。

英語圏の学校では、生徒は教師のことを、ミスターまたはミセス・ミス+名字で呼びます。
しかし、10年生(16歳)を過ぎたあたりから、先生本人に向かってファーストネームで呼んだり、ミスター・ミセス・ミスを言わないで名字だけで呼んだり、名字のニックネームで呼んだりする生徒もいました。

ただし、これは廊下や放課後のクラブ活動で会ったりするときに限られていました。
授業中にはミスター・ミセス・ミスを付けて話しかけていましたし、
スタッフルーム(職員室)をノックして教師に話しかけるときも、丁寧な話し方をしていました。

生徒が教師を名前で呼ぶのはカジュアルな関係に見えますが、
その生徒の中に、教師に対するリスペクトがあるのは明らかでした。
また、教師側も、自分が「目上」で生徒は「目下」という概念がないため、
「目上」の人間として生徒に接するのではなく、
ひとりの人間として、同じ人間である生徒にリスペクトをもって接していました。
むしろ、「えらそうな」態度をとる教師に対しては、
生徒の言葉遣いや接し方は丁寧でも、心の中では反抗したり嘲笑したりしているような態度が透けてみえることもありました。

先生には敬意を払う、という文化がある国もありますから、
初めから、生徒が教師に対して丁寧な話し方をしたり、従順に指示に従ったり、気を遣ったりしてくれることもあります。

ただ、「教師ー生徒」の関係に「上」も「下」もない文化で育った生徒は、
先生には丁寧に接するべき、とか、
指示の通りに動いたりしなければいけない、という概念がない、または小さい人もいます。
ということは、
宿題をするかどうかは、生徒の自由だし、寝っ転がってオンラインレッスンを受ける人もいるし、いろいろ要望も出してくるのです。

生徒が宿題をしてこなかったり、授業内容にリクエストをされてイラっとしたり残念だったりする気持ちの裏には、
教師の言うことを聞いてほしいという「上」から目線がありませんか?

私はその無意識な上下関係ジャッジに気が付いてから、発動させないように気を付けています。
宿題をしてこなくても、それは生徒の自由。
もちろん覚えたり上達したりするためには宿題をしてきてほしいけれど、
宿題をしなかった、またはできなかった、という選択を受け入れます。
授業の予定を変更したり、復習に時間を割いたりするだけのことです。
言うことを聞いてくれないな、とか、なんて失礼な!とか、
ネガティブな個人的な感情が発生すると、楽しくレッスンできませんから。

逆に生徒が、お金を払っているのだから何でも要望を聞き入れてほしい、
という「上」から目線で要求してくるときは、
その要望を無理して聞き入れることもしません。
スケジュールや授業内容など、快くできることなら応じますし、
無理してがんばらないとできないことならば、それはできません、と伝えるしかありません。

結局、フリーランスや自分の教室で教えているときには、
教師や生徒が対等にお互いを尊重し合える関係性が、
教師が楽しく教え、生徒も楽しく学ぶためには理想的ですね。
それがなかなか難しいときもあるんですけどねぇ。


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