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ゴミと私とななちゃん。
本日はのこのこ2回目でした!!
今日はなんと3歳児のなーくんも参加してくれて人数が増えたのこのこです(^^)
私たちが活動拠点としている国立市にある城山さとのいえは、自然もあるけどゴミもあります。
前回、そのことについて個人的に考えていて、それは「きれいに使ってほしい!」と言うところだけではなく、使わせて頂く私はそのゴミを見てみぬふりしていいのかと言うことと、のこのこは命を大切にしてほしいと思っているのに、自然の命や動物の命を切り離していいのかといろいろと悩み、私は使用する前は使わせていただく感謝の気持ちを込めて掃除してから使わせて頂こうと決めていました。
しかし、当日家を出るのが遅くなり、そんな日に限って踏切がなかなか開かなかったことで掃除をせずのこのこはスタートしてしまいました。
少しモヤモヤが残りながら、ななちゃんとなーくんとお母さん二人と一緒に過ごしました。
2歳児クラスのななちゃんが池を見て「かもさんいたよね」と前回一緒に鴨を見たことを話したり、池に石を投げて遊んでいたんです。
そんな池にもペットボトルの空が浮いていたりして、私の心は大揺れでした。私はこのゴミを見てみぬふりをしながら命の大事さなんて子どもたちに伝えられるのだろうか…
そんな中でもななちゃんは石を投げて楽しんでいたのですが、何度か投げた時、ふと取ろうとした物をやめて、隣にあった石を拾い投げたんです。
私はななちゃんが投げるのをやめた物を見て驚きました。
そこにあったのはビニールのゴミだったのです。
ゴミを見過ごした大人(私)と、反射的に池にゴミを投げないと言う選択をしたななちゃん。
虫がいる池、鴨がいる池、命がある池。
そこに2歳児のななちゃんはゴミを投げる選択をしない。他にゴミが浮いていたとしても。
自分の命があると言うことは、他の命もあると言うこと。
自分の命を守ると言うことは、他の命も守ると言うこと。
自分の命に感謝すると言うことは、他の命にも感謝すると言うこと。
改めて「命」について考えるきっかけをくれた2歳児のななちゃん。
自然があるのに命は少し遠くにある現状。
命の存在が遠いから大人も子どももゴミを捨てられたり、見過ごせるようになるのか。なんだろう。
だからこそ、野外で本当の命に囲まれて生活をすること大切にしたいと改めて思う出来事でした。
そして、今日の出来事の振り返りをした時に、「実は私も最近そこで揺れていて…」と言ったのがななちゃんのお母さん。
気になる場所(公園)を自分が綺麗にしてもいいけど、そこにゴミを捨てた人は何も感じないのではないか…自分がやればいいと言うだけではないのではないか…と別件で心が揺れていたとのこと。
のこのこはそう言う子どもの姿から自分を振り返る場所でもあります。
そして、そのモヤモヤを一緒に考えていく場所でもあります。
さて、この出来事から来週の私はどう言う行動をしていくのか。
ななちゃんのお母さんはどうしていくのか。
掃除をすることが正しいとかではなく、自分の気持ちはどうしたいのか、人にとって何がいいのか。命とは何か。いいも悪いもないのか。
自分の気持ちがわかった上で何を決めていくのか。
正解がない中でどう自分と向きあって、何を決めていくのか。
のこのこではそう言うことを一緒に考える仲間を募集しています!
興味のある方は、こちらにご連絡下さい^_^
nokonokonoko2022@gmail.com
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