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『石狩湾硯海岸へ接近中』の全文公開 連載第186回 第152章 なぜ硯海岸というのか

 そろそろこの長々しい物語もお開きの時間が迫っている。だから、ここらで、この海岸の名前の由来について触れておくべきだろう。ごく簡単な説明に留めて、ヘリのチャーター便で艇庫まですっ飛んで、さっさとリギンを始めよう。今日はヨット日和のいい風が吹いてきているのだから。さっき動画が届いた。#太瓶を股に挟んでコルクをポンッ。何でハッシュタグなんか付けるんだよ。そこのシャンパン全部飲んじゃうなよ。1本だけはクーラーに残しておいてくれ。飲んじゃった奴は漬け物樽の刑! 大樽に詰め込んで蓋をして小樽まで流す。運悪く海流が乱れれば、宗谷海峡を通ってアリューシャン列島まで漂流して行ってしまうかも知れない。まるで、大黒屋光太夫みたいに。
 横浜で義父(おとーさん。ようやくこう呼ばせてもらうことに決めたのだ。ひらがなで、真ん中に棒線が入る方の表現にした)にmy sonと呼びかけられたあの時に、ボクは一瞬にして、当時は珍しかった茶色のランドセルが自慢だった小学生のころの自分に戻っていた。ボクに父がいた、あの幼いころの札幌と旭川の思い出が蘇ってきた。
 旭川は地元生まれ、地元育ちの住民にとっては特に危険な街ではなかったのだろうが、どういう極端な運命の巡り合わせからか、札幌に住んでいた父もボクら家族も本来行く必要のなかったその旭川で、全員がそれぞれの人生に複数の決定的な打撃を被った。そもそもあそこに行かなければ父を殺されずに済んだのである。
 ボク自身ひどいイジメを受けた。父が大学で研究をしている医師であるということでやっかまれて虐められ、ランドセルの色の違いで虐められ、全科目の高い成績で虐められ、硯の形の違いで虐められ、小学校低学年で敬語を一部すでに自然に使えることで虐められ、虐められても屈服しないことでさらに虐められたのである。
 当時、札幌ではランドセルの色が黒と赤のみ(言わばスタンダール主義)から多色化し始めていたが、それでもボクのランドセルのような茶色はまだ少なかった。ところが、旭川では、他の小学校は知らないが、ボクが転校して行った小学校の少なくともボクと同じ学年では男子は黒一色だったのだ。それで、少数民族である転校生のボクは、否応なしに目立ってしまった。
 また、転入当日から、使っている教科書も元の札幌の小学校と違っていたのに、授業中に他の誰も答えられない質問にボクだけが正答する場面が続いたため、地元の閉鎖的な心情の児童たちにとってボクは邪魔者としか映らなかった。
 さらに、習字で使う硯もイジメの対象とされた。他の児童たちのは新学期に校内で出張一斉販売されていた教委指定の標準的な形の硯だった。ところが、ボクのは墨を磨る面が水平ではなく、手前の縁から奥の墨池まで平坦な斜面のタイプで、祖父がドイツからの帰国途中に上海の外灘(バンド)にある老舗骨董店で購入してきた、中国でもまず売っていない形のものだった。側には化石まで顔を出していた。この硯は札幌の小学校でもまわりの児童だけでなく担任の先生からも珍しがられたのだが、それでも、持って行った初日にボクの隣の席の女の子から、「この硯、丸い原じゃなくて、四角い原みたい。角原だ」と、ちょっとからかわれただけでその後は誰からも何も問題にされないで済んでいた。余計なことだが、この女の子は後に現役で東大文一に合格した。ところが、旭川に移ってみると、クラスの何人もがボクに対して狭量な差別的態度を取った。学校の指定品と違う、みんなと同じじゃない、という内容を、それぞれ子どもの表現で無遠慮かつ執拗に非難し続けた。
 教師たちに向かっていつまでも馴れ馴れしい子どもの言葉しか使えない周りの児童たちに対してボクは密かに違和感を覚えざるを得なかった。大人たちの使っていた敬語への早い時期からの関心が、後の外国語好きに繋がっていったのかも知れない。
 こうして、クラスはボクに対する敵意に満ちた空間となった。ボクは「都会」から来た医者の息子という理由だけで嫉妬・妨害されるに留まらなかったのだ。
 それでもボクは子どもながらに矜持を持って、年較差の大きい過酷な気候の道を通学し続け、墨の匂いの好きだった習字の時間のたびに、祖父の遺品の硯で姿勢を正して墨を磨って半紙に文字を書いた。札幌に戻った後の習字・書道の授業の記憶はおぼろげである。実家にあの硯はあるので、ゴミ箱に捨てられるとかの嫌がらせは受けなかったのだろう。
 その後、この硯の表面を高低差をつけて前後に往復する墨と同じような動きを、旭川を貫流する石狩川が流れ込む石狩湾で、医歯薬大に入ってから再び見ることとなった。

第153章 新しい地名 https://note.com/kayatan555/n/n8c6ee9e84b3e に続く。(全175章まであります)。

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