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『石狩湾硯海岸へ接近中』の全文公開 連載第5回 第4章 ドイツ語専攻 + 医学部受験の方針決定 (前半)

 私は子どものころから、ドイツがまるで親戚か何かであるかのように感じながら育ってきた。それは家庭環境によるところが大きかった。祖父のひとりが、長期に渡りドイツに留学して、帰朝(帰国)後、一時大学医学部の助手をしてから開業した小児科医だったのだ。そのため我が家には祖父のドイツ語の本が数百冊残っており、私はこれらだけでなくその他のドイツゆかりの品々も幼少時から目にしたり、おもちゃにして壊してしまったりして育った。じいちゃんごめんね。ドイツのだから、どんなに乱暴に扱っても壊れないと思ってたの、ボク。医学書を始め、自然科学分野の文献が中心なので、とっくに内容が古くなっていて、研究者以外にとっては価値に乏しいが、ドイツ語学習の貴重な教材と見方を変えることもできる。恐らくはそれらの大部分は船便で日本国内の実家に送っておいたのであろう。分量が多くて邪魔なのだが、かなりのページに祖父の書き込みがあるので捨てるに捨てられない。でも、もう何十年も経っているから、割り切ってしまって処分いたすか。一回も会えなかったけど、ねえ、じいちゃん、それでいいかなあ。
„Nein!”
(ダメだ!)。
 えー、ダメー? じゃあ、遺影の写真に落書きを書き足してやるど。
 これらの死蔵蔵書の中には、ドイツの小説だけでなく、他の外国語で出版された文学書の独訳本も含まれている。オリジナルの作品が少数言語で執筆されていた場合、有力な国際語であるドイツ語に変換されていると、より多くの読者を獲得する可能性が拡がったと思われる。同じ原作でも独訳、英訳、仏訳、伊訳、蘭訳では受ける印象が大きく異なる。私にとっては、ドイツから東の諸国や地域の文学は、読み比べてみて独訳が一番しっくりする感じがする。英訳だと日本語を読んでいる感じさえするのである。
 文学には時代を超える生命力がある。そのため、小説や詩の方は、本自体が物理的に古くなって紙が変色し(見るだけで気分が落ち込む)カビや埃にまみれていても、そうした欠陥を我慢すれば、今なお利用価値は衰えていない。読みたい箇所の見当を付けてそのページをコピーして、コピーの方を読むようにすれば元の支障はなくなる。
 現在ロシアの飛び地となっている旧・東プロイセンのケーニヒスベルクで約200年も前に発行された稀覯本があったり、すでに消滅した出版社や一国の首都ではない中都市の名前が発行地として扉に活版印刷で残されていたりしている。名前をどう発音すればいいか不明な東欧の小都市で、地元の有力者が家族の祝い事のためにドイツ語の私家版で作らせた発行部数24部のみの豪華装丁本のうちの1冊を祖父が古本屋で購入したものもあった。
 一方、父は高校時代にドイツではなく、アメリカに留学していた。シアトルである。まだボーイング社が本社をシカゴに移転させる前の話である。ニューヨーク市かバークレーを希望する応募者が多かったのだが、父はワシントン州の大自然に憧憬の念を抱いていたため、この街を選択したのであった。その後のポートランド、シアトルからバンクーバーにいたる地域圏の大興隆ぶりを見れば、父には大いに先見の明があったことになる。父は京都で生まれて、途中から札幌に移っていたのだが、世界経済の一大拠点に急速に成長中の水辺に面したこの北米都市での16歳から17歳にかけての9ヶ月間の経験の数々は、その後の父の人生に大きな影響を及ぼし続けることとなった。普段は日本語よりも英語で考えていることの方が多かったようである。家族が話しかけても一瞬返事が遅かったり、話の途中で口ごもったりしたのは、脳が英語から日本語への切り替え中だったり、英語の単語や表現に対応する適切な日本語が出てこなかった証拠である。留学後も向こうの知り合いとの交流は続き、シアトルの郵便局の消印のある絵はがきや封書の束が、うちの父の部屋に保管してある。
 ベースボールカードも残っている。アクリルケースに入れて鍵がかけられているのだが、その鍵がどこにあるのか見つからないのだ。交渉専門家に頼んで説得してもらい、カードが自発的に両手を挙げて中から出てくるのを待つしかあるまい。こういうことがあった。
 アメリカから仕事関係らしい電話がかかってきた時に、父は実務の部分を早々に片付けてから世間話に移り、有名な大リーガーの名前を次々に口にして楽しそうな口調になり、mint conditionという耳慣れない言い方をした後で“Way too expensive.”と、相手に見えないのにまるでアメリカ人のようなジェスチャー入りで付け加えているのを聞いたことがあるような気がする。うちの中でミントの匂いがしたことはなかったので、この言い方は子どものころ時々気になっていた。ミントコンディションって、何のことえ? きっとその場に兄もいたはずで、もしそうなら兄に聞けば事情は判明するかも知れないが、その程度のことであの兄に電話する気にはなれない。兄は地雷原なのである。ボクが普段の生活でバンブーダンスのように足を動かしていると、頻繁にこの地雷を踏んでは爆発させるのだった。ああ、やんた。兄のいない国に行きたい。
 そうそう、父は日本語でも喋るのが早かったが、英語に切り替えると、久し振りに散歩に連れ出してもらえた猟犬が突っ走るように、猛烈な速さで英単語を次々に繰り出すのだった。まるで呼吸をしていないかのような密な話し方だった。その点を小学生だったボクが聞いた時に、「不思議に思うかも知れないけど、英語の方がずっと話しやすい言葉なんだ。もちろん、父さんの英語がネイティブ並みだということじゃないぞ。でもな、youという言葉が英語にはあるから、敬語やら何やらで相手と話すときにやたらと障害の多い日本語とは違って、対等な人間同士として会話をすることがうんと簡単なんだぞ、英語は。英語の『you』と日本語の『あなた』は同じ働きの単語じゃないということだ。今は第2外国語も英語にせよ、というぐらい英語の重要性は高まっている。だから、英語には数学に次いだ努力を傾けなさい。大学に行ったら、英語以外の外国語も勉強させられるけど、これは試験で優を取る程度の勉強はしっかりやって、試験が終わったらそれ以上やるべきじゃない。そんな愚かな面に時間やお金や精力を費やすぐらいだったら、英語の色々な表現をしっかり研究すべきだ。大きな辞典の全部のページをゆっくり読め」と言った。父と話すときには、いつもこのように何か宿題を押し付けられるのであった。
 そのころ高校生の時にアメリカに留学できたことは人生において決定的に有利であったが、さらに望外の幸運が舞い込んだ。祖父の旧友が幹部をしていた京都の商工会議所から、父の帰国予定時にアントウェルペンで開催されることが内定していた青少年交流会に京都市代表兼通訳として出席するように要請があったのだ。祖父を通じて交渉した結果、前の年に札幌を発った時点での予定通りに帰国時にシアトルから成田に飛んで不便な接続を忍んで新千歳に向かうのではなく、大陸を東に横断していったんニューヨークに立ち寄り(ここで2泊)、大西洋を渡ってベルギーでそのお役目を果たした後で、西ベルリンを含む3週間ほどのヨーロッパ旅行の費用一切を前払いで負担してもらえることになった。これほどの厚遇は、父の父、つまり私の祖父の属している強力な学閥のおかげであったし、英語が話せる高校生が少ない時代だったからでもあった。このボーナスのような欧州駆け足旅行の最後は、ヘルシンキから陸路広軌の鉄道でソ連入りし、レニングラード、モスクワを経て、シベリア鉄道を使って(“Once is enough.”)、沿海州のナホトカからその時だけ臨時に利用できることになった貨物船で小樽港に帰ってきたのである。レーニン廟も長時間並んで参観した。車内も船内もソ連のにおいがしていた。アントウェルペンのプランタン・モレトゥス博物館では活版印刷の歴史を知った。こうして父は高校時代に世界一周を果たしたのであった。これは高校生であれ大学生であれ社会人であれ、(こうした言い方は少し古くさい気もするが)お金持ちの御曹司や令嬢でもなければまずできない経験だった。その経験をその後活かすも無為にしてしまうも本人の努力次第であっただろうが、父の場合は最大限に活かすことができたように思える。
 だが、私は中学の途中以降なるべく父のことは考えずに生きてこざるを得なかったため、その高い心理的な壁からアメリカにも目が向きにくくなっていた。その点、祖父は2代上であって、より中立に近い形でその生き方を見ることができたのである。
 こうした背景から、父の言いつけと正反対に、私が自分もドイツに住みたい、そのことばをしっかり身に付けたい、と願って成長し、ドイツ語の専攻を希望し、黒澤外国語大学への進学を決意したのはごく自然な流れだった。しかし、その道は単純ではなかった。
 結局入った医学部への進学を後回しにしたのは、16歳だった高2の夏休みの7月下旬に、母、祖父と話し合って決定した戦略に従ってのことである。

(以上、前半)。
第4章 ドイツ語専攻 + 医学部受験の方針決定(後半) https://note.com/kayatan555/n/nc45897933fea に続く。

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