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長崎丸山遊郭の遊女を出島や唐人屋敷に呼んで、遊び代を砂糖で支払ってもらって銀換算で遊女に渡すまでのながれ

はじめに

図1  長崎丸山遊廓と出島・唐人屋敷と長崎会所の関係図

唐人屋敷や出島のオランダ商館といった、異国人居留地に遊女を呼ぶときのながれが、あまりに面倒くさくて把握するのが大変だったので図にしました。
仕切遊女、名付遊女は個人間の契約であるので、このシステムではありません。また、ロシア人居留地にある稲佐遊郭もこのシステムではありません

日本が鎖国政策をしていた期間は、異国人は基本的に長崎の異国人居留地から外に出られませんでした。日本人との自由な交流を規制していた理由は、キリスト教の布教と自由貿易の規制、密輸防止のためです。
とくに出島にいる西洋人さんたちは、なにか買い物をするのでも内通詞さんを通して購入していたそうなので、窮屈だったろうと思います。遊女会いたさに海に飛び込み脱走をはかる者、遊女と遊びたいが幕府の許可が下りない身分の為に変装して捕まるなどの事件も記録に残っています。

唐人屋敷にいる東洋人さんたちは船の管理に海辺まで決められた道しか通れませんが、外にでることは可能でした。唐人屋敷大門(一の門)から二の門のあいだに官許の市場がたつので買い物はそこそこ自由ではあったようです。

そもそも砂糖払いとは?

砂糖の輸入量などがわかりやすくまとめられています。
http://nagasaki-shidankai.org/old/2011/shidankai_dayori/2014/201403_shidandayori.pdf

そもそも遊女小使とは?


※ コトバンクにない『遊女小使』という役目ですが、当記事では②の意味でこの名称を使用しています。 (文末に参考元あります
①遊女の身の回りの世話をする者を指す場合(例  禿など)
②居留地に住む異国人と遊女屋の取次ぎをおこない通詞とも付き合いのある者を指す場合がある。


出島や唐人屋敷などの異国人居留地に遊女を呼び、その遊び代支払いが完了するまでの流れ

※ 唐人屋敷も同じようなながれですが、『紅毛行遊女』を『唐館行遊女』に、『仲宿』を『両町乙名宅』に、『出島門番』を『唐人屋敷二の門の唐人屋敷の乙名部屋』に読みかえてください。
※ 以下、図1内にある数字の順番に説明していきます。

① 遊女を呼びたい日の数日前までに『遊女小使』をとおして、丸山遊郭に依頼します。

唐人の場合は、契約は『一回(遊女ひとり)につき半月まで』
出島の場合は、契約は『一回(遊女ひとり)につき三日または五日まで』
おなじ遊女を泊めておくことができました。
※正徳3年(1713)に制定されましたが、実態はこの限りではなかったようです。引付遊女や仕切遊女は遊郭と契約しているだけの女性なので、この規定を守らなくても問題なかったそうです。

以下は出島でのようすを筆者が創作したものですが、おそらくこのような会話がなされていたのだと思います。
異国人さん「1月23日に10人の部下または仲間に遊女を呼びたいです」
内通詞さん「では、出島の乙名部屋で話をしましょう」
乙名部屋に移動して遊女小使と会う
異国人さん「1月23日に10人の部下または仲間に遊女を呼びたいです」
内通詞さん「……と言っています」
遊女小使さん「では、1月20日くらいに丸山町乙名、寄合町乙名に頼んでおきます。船長(いちばんえらい人、遊女を呼びたい人の上司)の許可をもらわないと呼べません。また、支払いは出島から船が出る9月20日までに支払ってください」
内通詞さん「……と言っています」
異国人さん「わかりました、あなたに祝儀をだすので、ツンデレ美人とロり可愛い子ととにかく胸が大きい子とその他ほかの人たちの希望をお願いします」
内通詞さん「……と言っています」
遊女小使「このご祝儀だと、全員の希望する遊女は紹介できません」
内通詞さん「……と言っています」
異国人さん「では、更に御祝儀をだしますからお願いします」
内通詞さん「……と言っています」
遊女小使さん「ありがとうございます。ご期待に添えるように努力致します」
内通詞さん「……と言っています」
異国人さん「わかりました、よろしくお願いします」
内通詞さん「……と言っています」

内通詞さんもたいへんですね。このほかに内通詞さんは出島では売っていないものを異国人さんの要望に応じて購入してくる役目もあり、身の回りのお世話をしていたようです。

② 遊女小使が丸山町乙名と寄合町乙名( 以下『両町』と略す)に①の依頼を伝えにいく

以下は筆者が創作したものですが、おそらくこのような会話がなされていたのだと思います。

遊女小使さん「1月23日に出島へ10人の遊女を派遣する注文をうけました。ツンデレ美人とロり可愛い子ととにかく胸が大きい子とその他ほかの人たちの希望の遊女をよろしくお願い致します」
両町乙名さん「わかりました、ツンデレ美人とロり可愛い子ととにかく胸が大きい子とその他ほかの人たちの希望の遊女ですね。準備します」

③ 江戸町の仲宿(衣服改め)に詰めている両町日行使さんに、両町日行使さんが連絡しにいく

両町乙名さん「江戸町の仲宿にいる組頭と日行使さんたちに「異国人さんから「1月23日に10人の遊女を呼びたい」と依頼があった」と伝えてください」
連絡係の日行使さん「わかりました」

連絡係の日行使さん「異国人さんから「1月23日に10人の遊女を呼びたい」と依頼がありました。当日はそれに送りのときの遣り手と数人の禿が増えます」
仲宿詰番の組頭さんと日行使さん「「1月23日に10人の遊女と送りのときの遣り手と数人の禿」が出島に入るので衣服改めが必要と了解しました」

④ 両町乙名から各遊女屋へ依頼がはいる

両町乙名さん「出島から「1月23日に美人の10人の遊女を呼びたい」と依頼がありました、そちらから紅毛行遊女を〇人お願いします。ツンデレ美人とロり可愛い子ととにかく胸が大きい子とその他ほかの人たちの希望の遊女の用意をお願いします」
遊女屋さん「わかりました、うちは紅毛行遊女を〇人ですね。送りのときの遣り手と身の周りの世話をする禿も一緒に用意します」
両町乙名さん「よろしくお願いします。1月23日当日は江戸町仲宿で日行使と待ち合わせになります」
遊女屋さん「わかりました、いつもとおりの手順ですね。当日はよろしくお願いいたします」

遊女屋さん「異国人さんから「1月23日に10人の遊女を呼びたい」と依頼がありました。1月23日当日は江戸町の仲宿で髪や着物に密輸品を隠していないか規定の着物に着替えて検査をする衣服改めがあるので、セットが崩れても良い髪型と脱ぎ着しやすい着物を着て、すぐにほどける簡単な結びかたをした帯で向かってください」
当日向かう遊女さん・遣り手さん「わかりました」

⑤ 当日、江戸町の仲宿へ遊女が向かう

1月23日に遊女10人と連れの者が遊女屋を出発します。
遊女さん「仲宿までは遣り手と禿を連れて船や駕籠で行きます。唐人屋敷の場合は丸山遊郭から近いので駕籠で行きます」
送りの日行使さん「仲宿で遊女や禿たちと合流して、詰番に引き継ぎます」
仲宿詰番の組頭さんと日行使さん「仲宿では密輸品がないか衣服改めをしますので、規定の着物に着替えてください」
遊女さん「わかりました、よろしくお願いいたします」
仲宿詰番の組頭さんと日行使さん「密輸品はなかったので自分の着物に着替えてください。名前入りの証文(通行手形のようなもの)*1を発行したので、出島への橋を渡って番所に提出してください」
遊女さん・遣り手さん「わかりました」

おそらく徒歩で出島まで移動
遊女さん「これは今日来るときに仲宿でもらった証文です」
出島門番さん「わかりました。では出島に入ってください。出島にいるあいだは毎朝この番所に顔を出してください、仲宿詰番の組頭といっしょに顔改めをします」
遊女さん「わかりました」
このあと、商館長つきの遊女と遣り手と禿は出島遊女部屋へ、そうでない場合はそれぞれの相手の部屋へ向かいます。
出島では遊女の食事はでないので、毎日禿が丸山と出島を往復して食事を運びます。(唐人屋敷は唐人さんたちが遊女さんたちの食事の面倒もみます

*1「遊女禿名前証文帳に乙名及び組頭印形押捺」丸山遊女と唐紅毛人前編768頁

丸山遊郭大門から江戸町を通って出島への2キロ弱の徒歩路(現在の地図なので正確ではありません)
丸山遊郭大門から唐人屋敷への1キロ弱の徒歩路(現在の地図なので正確ではありません)

2キロ弱で駕籠に乗る必要があるのか?と思いましたが、町人に着飾った遊女の姿を見せないために使っていたのだと思います。

⑥ 遊女遊び代を町人が運営している『長崎会所』から請求する

各遊女屋さん「1月23日派遣した組で異国人さんが使った遊び代の請求書です」
両町乙名さん「わかりました。1月中に派遣したぶんの請求書をまとめて、出島の通詞さんに翻訳をお願いしておきます」
※ 出島にいる通詞さんたちが遊女を呼んだときの請求書まで翻訳していました(かわいそう)
※ 請求書には日本で流通している「銀」の通貨で請求額が書いてありますが、それを「砂糖」に換算して異国人さんに請求書を渡します

長崎会所さん「砂糖払いになります。内訳は以下のとおりで、毎年船出する9月20日までに支払ってください」
内通詞さん「……と言っています。内訳はこう書いてあります」
異国人さん「わかりました、9月20日までにお支払いします」  
内通詞さん「未払いのまま日本から船で出国した場合、あなたの上司の船長さんに請求書を出します」
異国人さん「わかりました、支払いからは逃げられないんですね」
※未払いのまま船出する者がいたので、個々の支払いではなく所属する船長が支払いを保証することになっていました

1)なぜ金銭ではなく『砂糖払い』なのか、2)国内銀の流出を防ぐ必要があったのか、こちらの論文が理解しやすかったです。

1)  江戸時代唐船による砂糖輸入と国内消費の展開https://kansai-u.repo.nii.ac.jp/?action=repository_action_common_download&item_id=12266&item_no=1&attribute_id=19&file_no=1
2)
  徳川幣制の成立と東アジア国際関係
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/repository/00209279.pdf

⑦ 長崎会所から遊女たち個人個人に、一年ぶんまとめて給料の支払いがおこなわれる(毎年11月から12月の間)

長崎会所さん「砂糖から銀に換算した金額を一括で支払います」
「出島の異国人は飲食代は自分持ちですから、通常のお店での揚げ代から飲食代を引いた金額が揚げ代になります」
「唐人屋敷の唐人さんも飲食代は自分持ちですから、通常のお店での揚げ代から飲食代を引いた金額が揚げ代になります」
遊女さん・遣り手さん・遊女屋のご主人さん・組頭さん「わかりました」

まとめ

出島へ出入りする紅毛行遊女の派遣のながれを創作をまじえて紹介しました。
ほかに異国人さんたちから、砂糖・布地・装飾品・その他いろいろの「贈り物」があった場合は、都度届け出なければなりませんでした。
届け出のない「贈り物」は密輸品ですので、密輸した遊女も加担したひと達も捕まりますし、異国人居留地への出入りの許可がおりなくなります。
密輸が非常に多かったので、異国人居留地や衣服改という制度が生まれたそうです。
日本で有名な異国人さんからの贈り物は、もらっても困った遊女が奉行所に引き取ってもらった「ラクダ」と「象」かな?と思います。
なんで女の子に「ラクダ」と「象」を贈ってよろこんでもらおうと思ってしまったのか、発想が謎すぎます。笑

謝辞


この記事のほか、長崎丸山遊郭関連の記事を作成するにあたってアドバイスや協力頂いた、らっこ先生(@convallaria1)、珊瑚さん(@PForTheFlower)、亀井さん(@kameiasami)、植田サキチさん(@usakiti_work)ほか、江戸東京博物館図書室の司書さんに心から感謝致します。一人だったら永遠にここまで調べられませんでした。本当にありがとうございました。

参考文献

丸山遊郭、長崎奉行所、長崎会所関連
『丸山遊女と唐紅毛人 前・後編』 古賀十二郎 長崎文献社 1968年
『長崎丸山遊郭』 赤瀬浩 講談社 2021年
『長崎出島の遊女』 白石広子 勉誠出版 2005年
『江戸物価事典』 小野武雄 展望社 2009年
赤瀬先生の『長崎丸山遊女』は『丸山遊女と唐紅毛人』を現代人にも読みやすい表記にかえて引用してくださってますし、ほかの遊郭研究家の論文からの引用もあるので、最初に手にとるのにおすすめしたいです。
白石先生の『長嶋出島の遊女』は、いわゆる「じゃがたら文」や通説の検証をなさっていて、非常に興味深い内容でした。

通詞、遊女小使関連
通詞本木家関連 『【字学】 本木昌造関係家系図、そのおいたち、その肖像・銅像 2022年2月25日確認

日本における英語研究のはじまり(1808-1862) 2022年2月25日確認https://researchmap.jp/hiraokaryuji/misc/11956617/attachment_file.pdf
motoki or motogi - 朗文堂  2022年2月25日確認http://www.robundo.com/robundo/blog/wp-content/uploads//2020/10/motoki-or-motogi.pdf
発見!長崎の歩き方『唐通詞と阿蘭陀通詞』  2022年2月25日確認http://www.city.nagasaki.lg.jp/nagazine/hakken1201/index2.html

出島遊女と阿蘭陀通詞 片桐一男 勉誠出版 2018


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