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それでも私はレトロを探してしまう 【小説】ラブ・ダイヤグラム12


あらすじ

覚悟はしていたものの、愛の想像通り
バス運転の為の免許である大型二種教習は
厳しいものだった。

同期の冬木が先んじてバス運転の教習にて
叩かれ、凹んでいるのを目の当たりにしながらも、
今更ビビっても仕方が無いと
腹を括ろうとする愛ではあったが…

そんな愛にも、いよいよ人生初
バスのハンドルに触れる日が迫っていた。


本文


うちの両親は私が小さい頃、
よく健康ランドに連れてってくれていた。

夕方たまに父親が早く仕事から帰ってくると、
「よし、今日行くか!」と言い出して
そのまま夕飯も食べずに、本当に健康ランドへと
家族で向かってしまうのだ。

いつもなら夕ご飯を食べている時間に、
母親とジャグジーやら薬湯やらに入る。

なにしろ小さい子供の時だったもので
決まった時間に食事を食べないと、
やたらお腹が空いてしまう。

そんな空腹を我慢しながら、
毎回お風呂に入っていたんだ。

もうご飯食べたいから早くお風呂出たい…等とやってみたくもなったけど、やった所でなんの意味もない事は分かっていた。

食事はいつも全員揃ってから、と言うのが我が家のルールでもあったので、例え何とか母親を言いくるめて早く出る事が出来たとしても、

男湯の父親が風呂にサウナにと
大抵一時間は出てこないので、
どっちにしろお腹空かせたまんま
待つ事になるからだ。

…なので、毎回お風呂を上がって合流した父親に私は
「遅い」だの「早く出てよ」等と文句を言っていたけどそれでも私は、この健康ランドに行くのが好きだった。


散々お腹を空かせ、座敷に長テーブルの並ぶ
食堂兼休憩所みたいな場所へ移動して
皆がそこの一角に陣取ると、
父親はいつも私達にこう言うんだ。


「腹減ったろ。好きなモン頼みな」


お蕎麦でもカレーでも、寿司でも揚げ物でも…
本当に何でも頼んでいいのだ。


いつもはアレやこれやは体に悪いとか
甘いのばっか食べ過ぎだの何だのと、
何かと食事には厳しかった母親も、
この時だけは一切、
小言めいた事を言わない。

いつも机一杯に並ぶ事になる料理に目を輝かせる私達をただニコニコしながら見ていてくれるのだ。


その時の食事が幸せ過ぎて
大人になった今でもその感動が忘れられずに、
心に刻み込まれたままになっている。


健康ランド以外では見たことの無い、
年季の入った機械やゲームの並ぶゲームコーナーに
ビンに入ったフルーツ牛乳。

座敷の真正面はカラオケステージになっていて
時折おじさんが演歌を唸る、そんな場所。

それが十何年前の当時としても大分レトロな…
平成どころか昭和の匂いが漂っているという、
いつまでも時代の流れを受け付けずに
奇跡的に残った場所だったのだということを
私は大人になってから知った。


全く、見掛けない。
似た様なお店を。



父親もきっと私と同じ様に小さい頃、
親に連れてってもらった
健康ランドの記憶や幸せさを忘れられず、
わざわざそんな古めかしいお店を選んで
足繁く通ってたんじゃ無いかと思う。


つまり、継承されてしまっているのだ。


お爺ちゃんから父親へ…
そして私へもだ。


OLの時代から人知れず、
私が小さい頃に見た様な健康ランドを
探すという、妙な趣味が辞められずにいた。

新コスメが良い感じだの、
映えるランチの店があるだのと…
会社や遊び仲間といる時には
そんな会話をしながらも、

一人の時間にはコソコソと、時に都内までも飛び出してそんなお年寄りやおじさん好みのしそうな
レトロな情景を求めて、方々訪ね歩いていたのだ。


今でもそれが、人にはあまり言えない私の趣味だ。


近頃は、その手の健康ランドが潰れて、
もう粗方無くなってしまったこともあって
銭湯にすらリサーチの幅を広げていた。


銭湯は昔ながらのやつが結構生き残っていて、
まだまだ私の探究心を掻き立ててくれている。


営業してるかどうかもよく分からない佇まいで
申し訳程度に手書きの入湯料の紙っぺらなんかが
貼られてるのを目にしただけで、心躍ってしまうのだから、ちょっとした病気だなと自分でも思う。


技能教習をついに明日に控えた休日、
私が訪れたのは、そんな銭湯の一店舗だった。

教習を終えたら入社する筈の小野原営業所から
裏手に少しばかり進んだ所にある、
ある日偶然見つけた銭湯だった。


見つけてしまった以上は、いつかは突撃するしか無い。今日がその日と言うわけだ。


勝負の日を前に、自分の趣味に休日を費やして
ちょっとでもリラックスしときたいと言う思いもあった。



例によってバイクでもって、
店の横の砂利が敷き詰められただけの
空き地みたいな駐車場に乗り付け
店の入り口前に立つと、

ホワイトボードに書かれた
「本日の湯 漢方湯」の文言が目に入る。


建物はパッと見、
少し大きめな日本家屋みたいな佇まい。


「うん、良い」


一人で来てるのに、つい口に出してしまうほどの
「当たり」な雰囲気だった。

ガラガラと音を立てて戸を開けると
確かに銭湯らしく、左右に木札の下駄箱が並ぶ。

お気に入りのパンプスを中に入れ
女湯の扉を開くと、
いきなり斜め上に番頭のおじさんが座る、
本当に昔ながらの銭湯…

テレビすら無い。
ラジオのみ。渋過ぎる…

一体何年製なんだと突っ込みたくなる様な
鉄製の体重計に、扇風機。
揉み玉のやつのマッサージチェア。
…しかも、竹製の脱衣カゴまであった。


これは予想以上だと内心益々テンションを上げながら、バサバサ服を脱いで脱衣カゴに突っ込んだ。

番頭がおじさん…?だから何?
そんな話はどうだって良いんだ。

銭湯のおじさんだってプロだ。
これを恥ずかしいなどと言うのは、
病院に行って診療で、肌を見せたく無いですなんて言ってる様なものだ。


小野原に越して来てすぐ、ハナちゃんを誘って
別の銭湯に行こうとした事があったものの、

その辺の理屈…いや、
しきたりを理解して貰えずに
一人で行って来なと言われてしまった事があった。

今日びの若い人…
特に女の子には確かに
敷居が高いかも知れないけど、

もう少し番頭さんのプロ意識を信用して
当たり前に裸になれば良いんだよと伝えたい。


中に入るとお風呂が3種類。
ぬるめのジャグジーに熱めの普通のお風呂。
そして本日は漢方湯の日替わり風呂。

先客も三人程いたけど、皆お婆ちゃんだ。

掛け湯をして体を清め、
取り敢えずジャグジーに入る。



夕方の早い時間。
この位の時間に開店する銭湯が多い。
多分今居る人達は皆一番風呂だったと思う。

静かに上る湯気と、お湯の流れる音…
時折黄色い桶がぶつかる音も響いた。


静かな時間。


共同浴場っていうのはどこも静かだ。

人が集まっているのに、
聞こえるのは心地よい音ばかりなんだ。


小さい頃は健康ランドの食事ばかりに
目を奪われていたけど、
その頃には既に、この音の心地よさってのは
私の体や頭に刷り込まれていたのかも知れない。


良いじゃんか…見つけたぞ、また一つ。
気持ちの良いお店。


気分が良かった。


多分…これからもこの気分になるのが忘れられずに、
私もきっといつかは子供を連れて、
健康ランドとか銭湯に
行ってしまう母親になるのだろうな。

そんな事を湯気に包まれながら考えていた。


「…お若い方が、珍しいねぇ」


「…大きなお風呂好きなんです。
前から見かけて気になってて…来ちゃいました」


ゆっくりした動きで、同じジャグジーに入って来た
お婆ちゃんに話しかけられた。

一人でこの手の場所に来ると、
大抵こうして声を掛けられる。


やっぱり、私みたいのが銭湯とかに来るのが
お婆ちゃんの感想の通り、余程珍しいのだろう。


「旦那さんと居らしてるのかしら」


「いやぁ、一人ですよ。
いつか旦那出来たら一緒に来たいですね。」


「あらそうなの」


「一緒に来れたらアレやりたいです。
あそこから石鹸投げて渡したりとか」


「良いわねぇ。でもそれ私達が若い頃の話よ。
皆今はお家にお風呂あるし、
来ても各々石鹸くらい持ってくるわ。
昔と違って…ほら、ゆとりもあるから」


そうだろうなぁ…
でも違うんだ。

敢えてここは石鹸もシャンプーも、
一個だけしか持たずに来て、一度やりたいんだ

このエピソードを初めに聞いたのも
やはり父親からで、

彼が小さい時に母親…つまり私のお婆ちゃんと
そんな風に受け渡しをしたらしい。

石鹸投げてー…もー何処投げてんの?
もうそろそろ上がるよー…

なんて受け答えを、いつか彼氏や旦那とやってみるのが私の小さな夢でもあった。


「お仕事はお休みかしら?」


「そうですね。」


「何をされてらっしゃるの?」


「今は…仕事と言うか…
ちょっとややこしいですけど、

教習所で教習受けてるんです。
バスの運転士になりたくて。
会社の援助で免許取りに行ってます。」


「あら、バス?小野原で?」


「はい、多分、すぐそこの
小野原営業所に入ると思います」


「私、いつもバスでここ来てるのよ。
向かいのスポーツセンターのバス停あるじゃない?
あそこまで乗って来るの」


「そうなんですか」


「いつか、あなたのバスで
来る様になるかも知れないわね。
女の人の運転手さんならすぐ分かりそうね」


「あはは。順調に運転士なれると良いですけど…
…うん…次は裸じゃなくて、
制服姿で会えると良いですね」


「楽しみに待ってるわ。
…じゃ、上がるわね。頑張ってね」


「はい、ありがとうございます」


お婆ちゃんはまた、ゆっくりした動きで
腰を曲げながらお風呂から出ていった。

思いもかけず、今後関わりの
生まれそうな人と出会えた事と、
不安で堪らない技能教習を「頑張れ」と
言って貰えたのが無性に嬉しかった。


まだプロにもなってない私を、
頑張れ…待っていると言ってくれる人が
居てくれるなんて。


こんな励みになる話があるだろうか。
来て良かった、本当に。
ただリラックスしたくて趣味で訪れただけなのに
凄く元気まで貰えてしまった。

今日という日に悔いのない様
思う様長風呂した後、
タオルを体に巻いて
ビンのフルーツ牛乳を取った。

これを番頭さんの所に持っていって、
お金を払うのだ。

本当は隣の缶ビールを手にしたいぐらい
気分が良かったけど、バイクで来てるし
明日は久々の大きな車の運転だ。
諦めてフルーツ牛乳にしとこう。

買ったら、冷蔵庫の横に付いている
千枚通しの小ちゃい奴みたいな針で、
紙の蓋を外す。

こんなの銭湯でしか見た事ない。
この手順もまた、父親から子供の時に
教えてもらったヤツだ。

私に良い趣味を継承してくれてありがとう。

そう頭の中で呟いてから飲んだ。

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