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SNSは故郷になる

京都市伏見区の醍醐エリアで日本で一番変な不動産屋を目指すプラスホームのかやまです。

いきなりですが訳あってボクには実家というものがないんです。


実家どころ京都生まれの京都育ちですが家を転々としていたので、故郷みたいな概念もないんですね。
まあそれについては、それほどどうという事は無いんですが、正直言うと故郷がある人に対して「羨ましいなあ」という気持ちを強く持ってます。

それを「コンプレックス」と呼ぶのなら、その「コンプレックス」のおかげで今住み、仕事をしている京都市伏見区の醍醐エリアを故郷にしたい。どうせなら楽しめる故郷にしたい。と思うことができてます。それがこの街で色々活動をしたいというボクの活力になってるわけです。コンプレックスって大事ですね。

そして、自分自身も誰かにとっての待ち合わせ場所や故郷になりたいなぁなんて思ってます。
人が待ち合わせになるというのがどういうことなのか、なぜそれをボクが目指すのかということは何度かお話したことがあります。


少し話は変わって、ボクはここ数年、SNSを楽しんでいる。

TwitterはメインのSNSとしてほぼ毎日。他にFacebookやインスタ、このnoteなどは続けたり、やめたりマイペースに。

今となっては毎日触れているTwitterだけど、一度完全に離れた。面白くなかったから。
再度興味が出て始めたのは何年前だろうか。
確か独立してプラスホームを立ち上げ、鳴かず飛ばずの毎日で何かを変えなきゃと強く思い始めた4~5年前だったか。


ただ、再開したTwitterをつぶやくツールでなく「繋がり」を重要視して使うようになって、たくさんの出会いがありとっても楽しいものとなった。

だけど、その数年の中でたくさんの出会いがあったと同時にたくさんの友達がTwitterを離れていったんですね。
初めの頃は悲しかった。せっかく友達になったのになぜ離れていくんだと。

でも、ボクも一度離れてるんです。
Twitterじゃなく、Facebookなら、インスタなら、noteなら何度も離れては戻ってきてるを繰り返してる。
そこで、気づいた。

ああ、SNSって故郷や実家みたいなもんなんだ、と。
ボクが「持ってる人に対して羨ましい」と思ってたものを、実はボクは持っていたんだ、と。
そこに気づくと何度止めてもまた、なぜか帰ってきたくなる理由が分かったし、離れていく人に対してなぜこんないい場所を手放すんだと思っていた理由が分かった。

実際にボク同様に離れても戻ってくる人もたくさんいる。
そんな人を見つけた時、やっぱりボクは嬉しくなってしまう。
おそらく子供が実家に帰ってきた親のように。


今ではボクもそんなTwitterという故郷を持つ身として、その故郷を守る親のような気持ちになり、離れていく人にいつでも帰って来いよと(心の中で)言い、帰ってきた人におかえりと口に出して言えるようになった。

SNSは故郷。
成長して出ていくのも、
帰ってきたいときに帰ってきたらいい。
帰ってきたその時はゆっくりしていきや。

って、いいように言いすぎか。
やっぱりボクはまだ故郷を持つ人に対してコンプレックスを持ってるな(笑)。

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