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お金に洗脳されているということは、こういうこと

お金がすべてじゃない。お金が無きゃ生きていけない。お金について様々な見解が世の中に溢れている。

ホリエモンがこんなこと言ってた気がする。「お金の本質は信頼だから、それに全て捧げて、追い求めるのはアホ。」って感じのことを。

この意味について、俺はずっと考えていた。

確かに、世の中のありとあらゆる物に金額という数字がついていて、お金はそれと交換できる。もしお米と交換しようとしても基本的にはできない。新品の高級車と交換しようと言ったら?たぶん交換できるだろう。なぜなら、その背後には新品の高級車がお金と交換できるという信頼があるからだ。

このようにお金は世の中のありとあらゆる物と交換できるという信頼があるからパワーを持っている。

でも何とでも交換できるのに、何でホリエモンとかは追い求めるのがアホくさい的なことを言うのだろう?

お金を追い求めて、良い家に住んで、かわいい奥さんをもらって、良い車に乗って、みんなから羨ましがられて、どんなスポーツも一番良い席で観戦できて、世界で一番うまい料理が食べられて、、、

追い求めるに値することではないのか?追い求めるとまで行かずとも、ある程度時間と労力を犠牲にしてでも掴むべきものではないのか?

俺はずっとそう考えていた。

洗脳されるということ

洗脳とは、「その人の主義、思想を根本的に改造すること。」調べたらこう出てきた。社会は結構お金に洗脳されていると思う。「その人の主義、思想を根本的に改造する」ってあるけど、俺たちは誰に改造されたの?

それは社会に改造されたというか、企業競争の中で必然的にというか、、、SNSでカッコイイ洋服や家具があったとか、キレイな人が化粧品のCMに出てるだとか、バレンタインやクリスマスって言って販売促進を仕掛けてきたりだとか、砂糖や小麦のおいしさが頭に刷り込まれていたりとか、、、

この世のほとんど全ての広告や情報が欲望のスイッチとなり、お金があればそれらが全部手に入る。しかも若くして何億も持ってるyoutuberがSNSを通じて大成功しているのを見て、「俺だって私だって」と幻想に駆られ、消費を加速させ、税金を払い、さらに税金が課される。

挙句の果てには「お金さえ手に入れば、、、」と、詐欺まがいのビジネスを自分の中で正当化し、被害者を生んでいく。「お金持ちは世の中に批判されてきた」「意識が低いから周りは俺を批判するんだ」「あいつらはわかってない」とか言いながら。(狂気の沙汰)

俺もそうだ。ちっぽけな自分がこんな巨大な欲望の仕掛けを変えることなんてもちろん無理だし、この洗脳から逃れることもできるはずがない。でも自分で問い続けることで学ぶこともある。

俺は脳が洗脳されていることを自覚した上で、次の質問を自分に投げかけてみた。

人間が生きていく上で本当に必要なものは?
人間がより幸せになるためには何が必要か?

人間は、水があって、食料があって、雨風しのげる空間があって、病気が治せる環境があって、最低限の義務教育があれば、いわゆる健康的で文化的な最低限度の生活ができる。これにどれだけお金が必要なのだろうか。

人間がより幸せになるためには、大切な仲間と、気の許せるパートナー、適度な休息や労働、適度な運動、たまにバーベキューしたり、特別な日にちょっとおしゃれなレストラン行ったり、旅行したり。これにどれだけお金が必要なのだろうか。

もちろん高級車や豪邸を所有したり、毎日高いお酒を飲みたいとかあるかもしれない。じゃあそれと引き換えにどれだけの時間と健康のコストがかかっていることか。その莫大なコストがあっても、「より幸せに」と言えるだろうか。

つまり幸せになるのにお金はそこまで必要ない。幸せになるために必要なのは、健康や知識、心や友達等、お金のかからないものが大半だ。

それでも人々はお金を求めてしまう。俺もそうだ。目の前に仕事があったら、「今日休まないで頑張れば、数万円手に入る」とお金を拾いにいってしまう。世間一般レベルのお金は持っているつもりだ。幸せに暮らせるだけの環境があるはすだ。それでも脳がついついお金に走ってしまう。

これがお金による洗脳なのだ。

お金に対して過度に期待したり、追い求めるのは愚かなのはわかる。でも洗脳にうまく対処するのも容易ではない。

(そこで俺が考えた対策と結果については、後日話すとする)


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