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人事の人が「制度的企業家」という言葉を知ったらやる気がでると思ったから紹介します。

カヤック人事部の柴田です。社外人事の神谷さん勉強会で知った「制度的企業家」という言葉を紹介します。

制度的企業家とは

神谷さん勉強会の資料から関係ありそうなところをコピペします。

DiMaggio(1988)「制度的企業家」
特定のsocial skillを駆使することで、制度の生成と改変を実現する存在
Fligstein(1997)「social skill」
行為の実現と正当化を目指し、アクターが互いに共有できる意義とアイデンティティを提供し、他のアクターとの協業を動機づける能力
Meyer(2006)
特異な属性や能力を持つ一部の個人だけなのか。 超越的な認識と能力を持つ制度的企業家を規定し(スーパーヒーロー仮説)、その存在に依存してるだけ。
Lounsbury & Crumley(2007)
集合体としてのアクターを制度的企業家と見なす。 制度変化を、一人の企業家でなく複数のアクターが相互作用して変化を作り出す過程を提示。
Dorado(2013)
英雄的な個人の制度的企業家論を否定。 →個人ではなく、集団として機能することを主張している。

つまりどういうことか?自分なりの言葉で調べて書いてみる。

「企業家」の意味を知らなかったので調べた。企業にいるすごい人って意味か。

新製品の開発、新しい生産方式や技術の導入、経営・生産組織の改善,新しい市場の開拓、原料の新しい供給源の開発などにより、常に革新を行なって経済に新しい局面をもたらすような創造的な機能をもつ者。
この概念は特に J.シュンペーターにより強調されたもので,企業家の果すこのような役割はイノベーションと呼ばれる。経営者のみならず一般社員のなかから企業家的能力あるいは企業家精神をもつ者をいかにして養成するかということが,近年の重要な経営課題の一つとなっている。(kotobank)

制度的企業家だから、制度面からアプローチする、企業にいるすごい人のことだ。では、どういう制度面からのアプローチだとすごいのか。

すごさ①「全体」と「個別」の両方を複眼的に把握している

以下、神谷さん勉強会の資料より。これは制度的企業家の話じゃなくて、現在の組織研究の方法のところで書かれていた内容。

そもそも組織をどのように捉えるか? →組織論では、マクロ・ミクロ・メゾの視座で捉える。 佐藤・山田(2004)
組織を以下の3点の視点で複眼的に分析していくことが、現在の組織研究のフロンティア領域となっている。
ミクロ:個人の行動や意識・認知のあり方、集団の社会的なやりとり
マクロ:組織を取り巻く文化や制度
メゾ:両方の「入れ子」の構造→マクロの文化の圧力に対するミクロの抵抗・受容

自分のケースで考えてみても、「会社の方向性としては3年ぐらいかけてこっちの方向性にいくから、各社員の個別の状況を考えると、少し問題があったりするけど、まあしょうがないか」みたいなことがある。ただ、このときにめんどくさいのが、大抵以下の二つが混ざっていることだ。
・大局的に向かう方向は間違ってなくて、その移行期間に発生している問題
・大局的に向かう方向が間違えてて、その結果として起きている問題

そして、2つの違いは相当細かく状況を把握しないと見分けられない。正直自分も見分けられている自信がない。しかも、会社の大きな方向性を自分で決めている立場の場合、その移行期間による課題だから時間がたてば解決すると思いがちでもある。

具体的な話を書く。カヤックには「月給ランキング」という、社員の相互投票で月給額を決めていくという制度がある。

月給ランキング(社員の相互評価)
同じ職種同士の相互投票によってランキングを決め、結果が月給に反映されます。「各自が社長になったつもりで社員を報酬順に並べなさい」というシンプルな問いをもとに、各社員の投票結果を集計して出します。
「社長になったつもり」というものは、すなわちそれぞれの主観です。主観の集まりは意外に正しく、主観の集まりが、その組織がいちばん大切にしている価値観であり、いちばん納得感・公平感が出るという考え方です。
(コーポレートサイトより)

定期的に社員と面談をすると、この給料の決め方に関して「納得がいかない」という声がよく出てくる。その声の中には「相互投票じゃなくて、もうちょっと一般的な評価・報酬制度に変えても同じ問題が出てくるよ」というものもある。
「相互投票だからこそ起きる課題」もあるし、「相互投票はいいけど、運用ルールがまずい」みたいな問題もある。そして、「そういう評価制度とか気にしない奴の評価があがるんだよ!」みたいな声もある(ちなみにこの最後の声がヒントになって、今後の方向性が生まれたが、別の話なので今回は書かない)。

マクロ的な発想だと以下の観点があって、社員の声は無視したくなることもある。

・相互投票による給料決定は、上司(的な人)の権限で給料が決まらないという意味でカヤックの文化においては相当重要だから変えられない。
・そもそも評価制度は全員が納得する方法など見つからない、みたいな言説がある。細かい運用ルールの変更はできるけど、合わない人にはずっと合わない。

ただ、ミクロだと、そんなことは関係なく、その社員にとっては切実な問題だから、なんとかしないとなーということを、毎回の面談で個別の話を聞いていると思う。ただ、このケースの解決策は長くなるから今回は書かない。

でまあ「マクロとミクロと制度的企業家」の話に戻すと、ここで思考停止せずに両方の観点を見ながらなんとかするってことだよな。けど、このようにマクロとミクロを両方見ながら考えるのは、そりゃすごいよな、とは思う。正直自分にはそれがうまくできているとは思えない。

すごさ②特定の個人のことではなく「集合体」であると定義していること

制度的企業家って聞くと、特定の個人かなと考えがちだが、そうではないところがすごい。再び神谷さん勉強会資料から。

Meyer(2006)
特異な属性や能力を持つ一部の個人だけなのか。 超越的な認識と能力を持つ制度的企業家を規定し(スーパーヒーロー仮説)、その存在に依存してるだけ。
Lounsbury & Crumley(2007)
集合体としてのアクターを制度的企業家と見なす。 制度変化を、一人の企業家でなく複数のアクターが相互作用して変化を作り出す過程を提示。

ポイントは「相互作用して変化を作り出す」ってことだろう。だから、「触媒」的に動く個人はいるんだろうなと予想できる。ただし、その人だけがいれば「制度的企業家」が実現できるわけではない。みたいなことかな。

「アレオレ詐欺」という言葉があるけど、似たようなものか。成功したプロジェクトがあったときに、自分の手柄のように話している人がいても、実際にはその人がやってない、みたいなことだ。
大きなプロジェクトであれば「相互作業による変化」によって結果が出てるから、その相互作用の一つではあったんだろうけど、それを大げさにいってしまうか、本人の認知がゆがんでるか、とかそういうことなのだろう。なので、「制度的企業家」が集合体であるというのは、とってもいい考えだなと思った。

「制度的企業家」という言葉があると、目指す姿が明確になるので、いいことだ。

とはいえ、制度的企業家という言葉は、良い言葉だなと思った。人事が目指すべき姿の一つとして、理解しておいても良いかなと考えて、自分なりの解釈を加えて言語化してみた。

「制度的企業家」的観点から「前例主義」を考えたくなったので、勉強会をやります。

定期的にやっている人事部勉強会の案内です。他社の人事の方から「新しい人事施策の導入時には、同業他社に似た事例があるかどうかを質問される」という話を聞いて、「これは面白い!」と私は反応しました。

カヤックにおいては「前例」というものをあまり参考にしていない気もしたし、一般的に「前例主義」は悪いことのように使われるけど、それだけじゃないはずだ。それこそ「組織を動かす相互作用の一環として前例をつかう」という観点から、人事が持つべき武器として活用できるのではないか、と考えて、このテーマで勉強会をやることにしました。

興味ある方は是非ご参加ください。

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