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「幻想が向ふから迫つてくるときは」

 山岸凉子の『妖精王』というマンガを図書館で借りてきてワクワクしながら読んだのは、小学校5年生の夏休みだったと思う。たしか初めての林間学校に行く前夜で、嵐だった。テレビでは映画『サウンド・オブ・ミュージック』をやっていて、画面の中でも雷が鳴り、ジュリー・アンドュースが子どもたちと布団をかぶりながら「私のお気に入り」を歌っていた。明日の林間学校、行けるのかな行けないのかな。不安なのに変に高揚したその夜の気持ちと、悲しいときも「お気に入り」を思い出せば大丈夫、という呪文めいたアンドリュースの歌声、そして『妖精王』の冒頭のエピソードが記憶の中で混ざり合って、思い出すと今も少し脈が速くなる。

 『妖精王』は、高校一年生の爵(ジャック)が、軽い結核のため、北海道に療養に来るところから始まる。東大を目指す爵は、休学で遅れを取ると焦り、一刻も早く東京に帰りたがっているのだが、なぜか身の回りで不思議な出来事が起こり始める。最初は彼の耳に、何かささやきのようなものが届くだけ。木の葉ずれの音や鳥の声に混ざって「来たわ」「来たわ」という声やくすくす笑う声、自分の名前を呼ぶ声を、爵は夢うつつで聞く。このシーンのコマには、妖精たちの細い手足や透き通った羽のはしっこが小さく描かれている。朝、はっきりと目覚めてみれば、不思議な「ささやき」は小鳥のさえずりでしかない。

 やがて爵は北海道であって北海道でないもうひとつの国・ニンフィディアに、未来の妖精王として誘われ、様々な試練をくぐり抜けていく……というお話なのだが、私は特にこの「呼ばれる」シーンを繰り返し、むさぼるように読んだ。何か灼けつくような懐かしさがあった。親元を離れて自然の中へ出かけていく前の晩という、爵と似た状況で読んだせいもあると思う。いや、もっと小さい頃から、聞こえるはずのないものが聞こえる、呼ばれる、連れていかれるという感覚に猛烈な憧れがあった。小3の時には、庭の木に名前をつけて、枝や葉の揺れ方が木の言葉だということにしていた。でも、あくまで「ごっこ」だった。半信半疑というより、一割信九割疑くらいで、そんなことが現実にあるはずがないと思っていた。でも、「聞こえる」ほうが本当だという気がした。自分にとって「聞こえる」のが嘘だということがかなしかった。人間以外のものの呼び声が聞こえて、あっち側に「さらわれてしまう」人になりたかったのだと思う。

 大人になってから好きになった本にも、この「聞こえる」「呼ばれる」要素が入ったものが多い。たとえば『遠野物語』に出てくる「サムトの婆」の話とか、内田百閒『サラサーテの盤』、カポーティの短編『夜の樹』とかがそうだ。宮沢賢治の作品は全編がそれだといっても間違いではないと思う。
 宮沢賢治の童話は、子どもの頃は少し怖くて大好きというほどではなかったが、大学時代に詩作品が好きになった。『春と修羅』にかぶれはじめた頃は、観光シーズン前の小岩井農場内をうろうろ歩き回ってずいぶんはずれのほうまで行き、農場の方にジープに乗せてもらったりした。

冬にきたときとはまるでべつだ
みんなすつかり変つてゐる
変つたとはいへそれは雪が往き
雪が展(ひら)けてつちが呼吸し
幹や芽のなかに燐光や樹液がながれ
あをじろい春になつただけだ
それよりもこんなせはしい心象の明滅をつらね
すみやかなすみやかな万法流転のなかに
小岩井のきれいな野はらや牧場の標本が
いかにも確かに継起するといふことが
どんなに新鮮な奇蹟だらう
ほんたうにこのみちをこの前行くときは
空気がひどく稠密で 
つめたくそしてあかる過ぎた

宮沢賢治『春と修羅』「小岩井農場」より

 この詩には(一九二二、五、二一)と日付が入っているけれど、賢治は「冬に来たとき」と五月現在の、二重の景色を見ているようだ。駅から本部までは馬車で行こうと思って乗り遅れたり、途中で農夫に汽車の時間を尋ねたりしつつ、二重どころか何層にも重なった時間を見ている。「すきとほつてゆれてゐるのは/さつきの剽悍な四本のさくら」。自分はそれを知っているけれど、「眼にははつきり見てゐない」。「感官の外」では「つめたい雨がそそいで」いて、不可思議な「遠いともだち」が共に歩いている。

ユリアがわたくしの左を行く
大きな紺いろの瞳をりんと張つて
ユリアがわたくしの左を行く
ペムペルがわたくしの右にゐる
……………はさつき横へ外(そ)れた
あのから松の列のとこから横へ外れた
  《幻想が向ふから迫つてくるときは
もうにんげんの壊れるときだ》
(同)
 『どんぐりと山猫』『セロ弾きのゴーシュ』『かしわばやしの夜』など、人間が動植物や異界のものと語り合う話は賢治作品にたくさんあるけれど、彼は決してそれを甘くふわっとした話として書いているわけではない。たぶん賢治は「幻想が向ふから迫つてくる」ことの怖さを、誰よりも知っていたのではないかと思う。

 最晩年の作品群『疾中』の中の〔その恐ろしい雨雲が〕にはこんな一節がある。

その恐ろしい黒雲が
またわたくしをとらうと来れば
わたくしは切なく熱くひとりもだえる
(中略)
きみはかゞやく穹窿や
透明な風 野原や森の
この恐るべき他の面を知るか

(『疾中』〔その恐ろしい黒雲が〕より)

賢治は、なかばは戯れ、なかばは本気で自分を「森やのはらのこひびと」と呼び、雨雲と結婚するなどと言っていたが、その雲が自分を「取ろう」と迫ってくるのだという。同じく『疾中』の〔風がおもてで呼んでゐる〕はさらに怖い。「聞こえる」「呼ばれる」人間になりたいなんて、生半可なことを言ってはいけない気がする。

 母が七五歳で亡くなる少し前、ベランダで少し日光浴をした後、にこにこ笑いながら「今日はヒヨドリと鳴き交わしをしたのよ」と言っていたことを思い出す。母はがんで長く治療をしていたけれど、ぎりぎりまで元気で認知症でもなかった。もともと文学少女で自然を愛していたし、鳥のさえずりに口笛か歌で答えたら、鳥のほうも反応したというのはそんなに変なことでもない。でも、あまりにも無邪気に本気で言うから怖かった。「ふうん。最近ヒヨドリ多いよね」とスルーした。母が少女に戻ってしまったみたいで怖かった。

 そんな母を看取った父も、やはりがんで今年二月に八十で亡くなったけれど、最期まで実際的でしっかりしていた。もともと野鳥が好きで、冬の間は鳥の餌台をつくっていたけれど、自分が「鳥としゃべる」ようなことはなかった。切り分けた柿は、はんだごてで小さな穴を空けたプリンカップでガードし、スーパーでくれる牛脂は電球のソケットや針金でガードして、カラスなど大型の鳥に取られず、小鳥が安心して食べられるように工夫していた。「ヒヨドリは愛嬌があるけど、食べ方が汚いからなあ」と言っていた。実際、父が寝ている窓のすぐそばまできて、プリンカップの穴にくちばしを差し入れて柿を食べるメジロや、すばやくひまわりの種をさらっていくシジュウカラは可愛かった。父は苦しくて一晩中呻くようなことがあっても、朝、薬が効いて人心地がつくと「お隣、うるさかったんじゃないか。一言断っておいたほうがいいよ」などと言っていた。鎮痛剤の副作用でせん妄状態に陥ることを恐れ、周囲に迷惑をかけたくないといつも気を遣っていた。それでも、亡くなる数日前は、やはり何か違うものを見聞きしていたように思う。
夕方、見舞いのお客様が帰って一人になったあと、父の眼が動いていたので「何か見てる?」と聞いたら「海!」という。
「海?」
「うん。呼んで! 呼んで!」
なんだかわからないけれど、一緒に「おーい」「おーい」と呼んでみた。その海の向こうで、何かが父に返事をしていたのだと思うけれど、それがどんな声だったのか、私には全然わからないし、怖すぎてあまり知りたくない。

〔風がおもてで呼んでゐる〕

風がおもてで呼んでゐる
「さあ起きて
赤いシャッツと
いつものぼろぼろの外套を着て
早くおもてへ出て来るんだ」と
風が交々叫んでゐる
「おれたちはみな
おまへの出るのを迎へるために
おまへのすきなみぞれの粒を
横ぞっぽうに飛ばしてゐる
おまへも早く飛びだして来て
あすこの稜ある巌の上
葉のない黒い林のなかで
うつくしいソプラノをもった
おれたちのなかのひとりと
約束通り結婚しろ」と
繰り返し繰り返し
風がおもてで叫んでゐる

(『疾中』)

 50過ぎのおばちゃんになっても、「聞こえる」「呼ばれる」世界への憧れは少しある。でも、そっちに引っ張られるにはどっしりしすぎた体があって、今日もご飯が旨いことを幸せに思う。

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